いい日旅立ち2002年12月
★目覚めれば九州★
今回は「九州ゾーンきっぷ」を利用。201Km以上のJR路線往復(片道は飛行機でも可)を利用することが条件の周遊券で、JR九州内の普通・急行・特急自由席が乗り放題になる。
こちらが今回の移動地図。最大目標が筑後吉井と球泉洞なので、京都から飛行機を使うよりもJR移動の方がよかったのだ。
降車場所の小倉着は7時37分。目覚ましは6時40分にセットしておいた。終点ではないので緊張していたつもりだが、アラームが鳴るまで熟睡。夢もみなかった。
予想通り誰もいない洗面所で洗顔し、余裕で準備完了。 朝の小倉駅に下りる。
寒っ
けっこう寒い。札幌なみだ。どうやら私は雨だけではなく寒気も呼んでいたらしく、ちょうど寒かった一週間に旅行していたようだ・・・
小倉駅で立ち食いうどんを食べて、日田彦線に乗り換えた。椅子がボックスタイプのローカル線だ。
ちょっと本を読むも、すぐ眠くなる。うとうとしていると車掌さんが来て、放り投げてあった傘を忘れ物と思って回収しようとしている気配。
「持って行ってくれ」
私は寝たふり状態で鞍馬で購入した500円傘をJR九州に託した。もう使いたくないし(笑)
列車でのうたた寝は気持ちが良い。時々目覚めて窓の外を見ると雪景色だった。風情があってきれい。
さっき傘を持って行かれたが、私は雪には傘を使わないのでまあいいか。
小倉を出て約2時間、日田に到着。目指す筑後吉井駅のある久大線への乗換駅。
卓上で旅程を練っている時、どうしても日田で乗り継ぎ時間があくため「なんかないかなー」と思って調べたら、けっこうなんかある所だった。というわけで、2時間ほど行程に組み込んでみた。
日田は天領(徳川幕府直轄領)だったという歴史があり、古い町並みあり、温泉もある小観光地だ。 コインロッカーに荷物を入れ、観光案内所で借りたレンタサイクルに乗って観光スタート。
まずは隅町にある味噌・醤油の蔵元原次郎左衛門蔵へ。
工場をさらっと見学し、醤油を味見させてもらった。九州の醤油はドロッとしていて甘味がある。めんつゆのごときだ。記念に小瓶を購入。(餅につけたら美味しそう)
ここは郷土玩具も無料展示されていた。店のご主人が展示物の整理をしており、色々説明してくれた。 写真左は「きじうま」。西を代表する玩具だそうだ。写真のきじうまは古い名品で、数十万するという。
その他、雛人形が三点。その中の一つはとくにお値打ち物、約250年前の作品「次郎左衛門雛」。江戸時代に流行した雛人形で、丸顔といい服装といい、私がよく見るものとは全然違う。次郎左衛門と(原)次郎左衛門とは名前が同じということで、ご主人が力を入れて入手した名品だそうだ。(雛人形は保存のためフラッシュ不可だったので写真無し)
ご主人は人形の素晴らしさ、古物の入手法などを色々話してくれた。 中でも京都の本願寺の西と東がケンカ資金として放出するものは保存がよくて良い、というのは悲しくもおかしかった。
ところで調べると原次郎左衛門の代表者は原次郎左衛門正幸とある。 先祖の名前をミドルネームにしているのだろうか。
予定より長く原次郎左衛門蔵にいたため、ペダル速度を速めて豆田町へ向った。
私がまったく知らない有名人、廣瀬淡窓という人が日田にいたらしく、その資料館があったので入ってみた。
パンフレットによると廣瀬家は武田信玄の家臣・廣瀬郷左衛門の弟が祖であると伝えられている・・・すごいのかすごくないのか・・・(笑)
先祖はともかくとし、病身のため弟に宗家を譲り私塾「咸宜園(」を開いたのが廣瀬淡窓。写真右は咸宜園内にあった秋風庵を江戸時代末期の姿に復元したもの。
ここの出身者に高野長英や大村益次郎がいる。展示物の中のこの2名の名前を見てようやく廣瀬淡窓がぼんやりと実体化してきた。
「天領としての歴史を見なおそう」という動きが日田に興ったのはわりと最近の話だそうだ。その火付け役になったのが廣瀬資料館の向いにある「珈琲談義所嶋屋」(写真左)。古い商家を利用した店だ。
食事もできるが、あまり時間がないので抹茶セットをもって昼ご飯とする。
抹茶を飲んでいる時、母から「今どこ?」と電話がきた。日田と言ってもわからないだろう。しかし、県名を言おうにもどこよ、ここ(笑)
「今?・・・たぶん大分。もしかしたら福岡かも」というあんまりな返答が店員の耳に届いていないことを願う。 まあ、九州、ということで。
自転車を観光案内所に返却し、13:04のJR久大線で筑後吉井駅へ。
天領日田と有馬藩城下町の久留米を結ぶ豊後街道の宿駅として機能した町、吉井町だ。
日田には代官所(幕府出張所)の公金を運用して「日田金(ひたがね)」と呼ばれる金融業者に発展した豪商達がいた。(廣瀬家もその一つ) その頃、宿場町の吉井町の商人もかなりがんばったらしく、「日田金」に対して「吉井銀(よしいがね)」と称されるほどの繁栄をみせていた。
往時がしのばれる白壁土蔵造りの町並みは吉井町のウリの一つだ。
が、私の目的は江戸時代文化ではない。吉井町には古墳時代の遺物――――装飾古墳もあるのだ。