トルコ
1993年2月 1998年9月
首都:アンカラ 主要言語:トルコ語 通貨単位:トルコリラ
いくつか旅行した中でも、トルコは1、2を争う魅力的な国だった。
一回目は友人達と4人で真冬に、二回目はベストシーズンに家族で行っている。
今回は一回目の話を主軸にトルコを紹介したい。
※何年も前の旅行記なので、正確な資料としての価値は無し!
★★★ 旅行に行けるのか!? の巻
1992年、私と友人N、W、Uの4人は「10月にインドに行こう」という計画をたてていた。
しかし、土壇場で私と上司の休暇申請がバッティングし、当然争いに負けた私の旅行は翌年2月に移された。・・・10月とは打って変って、2月のインドは
行くな
と言わんばかりの高額だった。
もう場所を変えるしかない。
2月=冬場はヨーロッパが安い。そして、トルコという国は旅行パンフレットではヨーロッパに区分されていることが多いのだ。
こうして全く行く気のなかったトルコ旅行が急遽浮上。
ところで旅行の計画を練っていた1992年といえば、
前年'91年に
湾岸戦争
は起こるわ
ソ連は崩壊
するわで
「え?海外行くの?しかもトルコ?」
という雰囲気満々だった。
我々も多少は心配してトルコ政府観光局にまで電話したりした。・・・まあ、返ってきた言葉は当然ながら「安全という意味ではお薦めしませんが、今現在、危険というわけではありません」
自分で決めろ、ということだ。
「死ぬ時は北海道でだって死ぬ」と結論づけた我々4人は、トルコ旅行を決定した。
★★★ 北海道脱出できるのか!? の巻
毎回くどいようだが首都よりロシアに近い札幌では、ほとんどの外国に行くためにまず北海道を出る必要がある。しかも成田発が昼以降でなければ
前泊
である。(トルコは11時発なので前泊決定)
WとUは14時台に一便しかない札幌→成田を利用し、成田に宿泊。
一方、有給休暇をけちった私は、仕事が終わった後の最終便で羽田へ飛び日暮里の安宿に泊まるという計画を立て、旅行初心者のNをだまくらかして同行させた。
東京行き最終便に余裕で間に合うJRで私とNは札幌から千歳空港に向かった――――はずだった!
「次の停車駅は・・・・」
何駅目かのアナウンスを聞いた私の頭は白くなった。それは、
乗ったはずの快速エアポートが停車するはずのない駅名だったのだ。
・・・鈍行?
ズバリ、乗る列車、間違いました!!
千歳空港に予定時間に到着できない
→飛行機に乗れない
→飛行機は最終便
→明日の便では成田に11時までに着けない
→トルコに行けない
走馬灯のようにぐるぐる回る業務用時刻表。乗車券を確認にきた車掌さんにこの列車の到着時間を聞く。・・・すっごいギリギリ。
この時、Nに何と説明したか記憶がない。が、Nはこの緊急事態にビタイチ気づいていなかったようだ・・・
まあ、しょっちゅうしょーもない経験をしている私であるが、航空会社職員が今まさに閉めようとしている搭乗ゲート(改札口)に
「乗りま〜〜〜す!」
と叫びながら滑りこんだのはこの時限りである(今のところ)
なんとか無事に飛行機に乗った私とNは、部屋代5千円ほどの日暮里の安宿に夜中にチェックイン。
定員二人としか思えない共同浴場も、夜中だから二人で快適に使用。ホコリのかぶったキジの剥製なんかが置いてあるイイ味だした部屋で眠りについた。
しまった!1ページまるまる使ってまだ東京(笑)
次頁には写真入りでなんとかトルコに到着しようと思います。
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