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● 火 車 (宮部みゆき) ●

 ドラマにもなったし、かなり話題になった作品なので今更ヘタなことは言いたくないが、考えさせられる小説だった。

 借金のために家族が別れ別れになりどん底の生活を送っていた女性が、やっと結婚という幸せにたどり着いた。が、入籍したとたんに戸籍から居場所がばれて、借金取りにかぎつけられる。
 借金から逃れるためには、行方不明になっている父親の死が確認されなければならない。実の親を「死んでいてくれ」と願いながら探す女性の姿に、夫の心が離れていく場面。短い場面だったが、私にとって一番印象的なところだ。
 幸福ってなんだろう?犠牲がないとだめなのか?
 目の前の幸せを追求していくと、根本的なところを見失う。だからといって、それをしなければ現在の不幸から逃れられる保証はない。
 なんか、すごい悲しい。
 犯人の女性は、自分の犯罪や歪んだ感覚を悔いたりためらったりしていない。そんな前向きすぎる犯罪心理がまた悲しいのだ。



●だれも知らない小さな国 (佐藤さとる)●

 小学生の頃読んで以来、何度も読み返している。佐藤さとるの中でも一番好きな作品がこれだ。
 
 「だれも知らない小さな国」は、主人公の「せいたかさん」が身の丈3cmほどの小人コロボックルと出逢い友達になっていく話だ。(実は戦前戦後が舞台だったりする)
 物語はせいたかさんが子供の頃、そうとは知らずにコロボックルの生息する小山に迷いこみ、そこをお気に入りの場所にしてしまうところから始まる。
  肝心なコロボックル登場前だというのに、この小山のシーンは充分魅力的だ。池があり川があり、椿やもちの木が家具のように配置されている小山。
 その小山を村上勉の挿し絵がさらに立体的にしていく。もこもこした木々と土、そこにさらっと生えた草。やや湿気のある「土と植物と風」の匂いがそこに感じられる。そしていつのまにか、佐藤さとるの世界に入っていっているのだ。
 
 私が小学校の頃住んでいた家の隣は、大家さんの私有地で小さな林になっていた。湿地だったので、大家さんも手をつけずにおいてあったと思われる。
水深5cmほどの沼にはフキやセリが生え、ブドウの木には長い蔓がたれていた。私は木の枝を鉄棒がわりにしたり、蔓でブランコやターザンごっこをしたものだった。(フキ&セリは母に採取され、時々夕食になった)
 あの林は私の「小さな国」だった。友達を何回も連れ込んだから「だれも知らない」ではなかったけど。
 童話の中の小山は、せいたかさんとコロボックルの活躍で潰されるのを免れたけど、私の林はすでに道路になってしまっている。
 ちょっと残念だなぁ。今みたら、すごくちゃちい林だったんだろうけど。




● 竜 の 柩 (高橋克彦)●

 世間に認められてる史実を掲げて、こういった小説まで認めない方もいる。でも私は真実か否かというより、読み物としての面白さを推したい。(まあ、ついでにこういう説もあるのか、くらいは思ってほしけど)

 東洋では神聖な竜(蛇)が、西洋(キリスト教文化)では悪魔の象徴となる。
 竜信仰は追われるように西から東に流れている。そしてその境界線に「牛」がある。
「竜」vs「牡牛」を高橋克彦流切り口で小説化したのがこの「龍の棺」だ。
 高橋克彦という人は、細かい描写や極端に装飾的な表現、くどい解説をつける作家ではない。小ネタでも話すように、怪しいネタをぽんぽんだしてくるといった感じだ。そのネタの散りばめ方が格別面白かったのが「龍の棺」だったと思う。
 ちなみに怪しいネタというのは「青森にあるキリストの墓」とか「遮光器土偶は宇宙服を着た人を模している」とか「パキスタンにあるガラスの町は古代核戦争の跡ではないか」とか・・・盛りだくさんでたまりません(笑)

 「竜の柩」は、高橋作品で今のところ一番好きな作品だ。だが、この手の作品が苦手な人には「写楽殺人事件」「ドールズ」などをまずお薦めしたい。そして、この手の作品が好きな人には、続いて「総門谷」シリーズへ突入していただきたい。



● 氷河民族 (山田正紀)●

 なんとなく切ないSF----山田正紀の小説はそういうイメージだ。

 ある日、主人公は昏睡状態のまま目覚めない一人の美女を拾った。
眠り続ける美女の謎を追っているうちに、主人公は今まで知らなかった世界に足を踏み入れる。
「冷凍睡眠」「吸血鬼」・・・主人公の前に次々と出てくる非日常的単語の意味が、少しずつ明らかにされていく。

 山田正紀が「氷河民族」で語りたかったことが何なのかはわからないが、私は「人類はいつ殺戮を覚えたのか?」というところに興味を感じた。
 作中では、人類の殺人癖の始まりは「捕食」であったという説が提示されている。生きる手段が殺しだったのだ、と。
 「どうせアベル殺しは人類の業なのだ」と主人公は言う。
神に愛されているアベルに嫉妬し、カインはアベルを殺した。旧約聖書で語られる人類初の殺人話だ。
 もし、人類よりも神に愛される可能性がある「種」が目の前に現れたら、人類はどうするだろう?人類はその種に嫉妬せず、嫉妬したとしても黙って見ていることができるだろうか?
 嫉妬という感情は、自分を守り、生かすためにあるものではないか?だとすれば、嫉妬からくる殺しも、生きる手段なのではないか?
 だが捕食にしろ嫉妬にしろ、人類はなぜか生きる手段に罪悪感を感じる種でもあった。だからこそ言い訳をするために殺しの物語を作り続けずにはいられないのかもしれない。

   という上記の感想は、実は後で思いついたことだが、読んでいる最中は腎臓機能の話が面白かった。(なんのこっちゃ)



● 忘却の河 (福永武彦)●

その男は両の眼を見開いたまま死んでいた。天を向いた二つの眼球に、雨が落ち、雨がかたまり、落ち窪んだ眼窩は涙をたたえ、その涙は天の蒼さを映していた。その眼が彼を見ていた。茫然と傍らに佇立し、言葉もなく、意志もなく見下している彼を、そ落ち窪んだ眼窩が見詰めていた。

 高校の時、現代国語の模擬試験に出た「本文」だ。もちろん、もっと長い状態であったが。
 国語の試験に出てくる文章なんて斜め読みしかしたことがないのに、初めてまともに読んだ。まともに読みすぎて、読む速度が遅い私は危うく時間がなくなりかけた。
 戦場で死にかけている戦友に末期の水を飲ませようと、危険を冒して水を持ち帰ったシーンだ。
雨とも涙ともつかぬ水面になった眼窩が映す空の蒼・・・奇妙に心を捉えた。

 とはいえ、それは試験のひとときの事で、私はその感動をすっかり忘れていた。
短大に入ってまもなく、クラスメイトの一人が「忘却の河」という本を図書室から借りてきて「やっとみつけた」と言うまでは。
 彼女は試験の時に私と同じような感動を受けていた。私と違うところは「きちんと読みたい」と思い、その小説を探しあてたところだ。
私は彼女の次に「忘却の河」を図書室から借りた。

 戦争の話かと思ったら、まったく違った。そこに描かれているのは「捨てた女が自殺した男」「不倫」「子供の死」といった、楽しいもの好きの私が普通なら絶対手にしないテーマばかりだった。
最初から最後まで重苦しい雰囲気が漂い、それでも針の穴から刺すようなわずかな光がちらちらと見えるような「大人の小説」だった。
 この小説を最後まで読んだ、というのが自分にも驚きだった。しかも、無理に読み終えたわけでもない。
 消すことのできない過去。過ちだけでは片付けられない様々な感情。思い通りにいかない過去をひきずって生きていく人生というものが綴られた一冊だったと思う。



● 千一夜物語 ●

 后に裏切られ、不信になった王様が一夜明けるごとに新しい后を殺していく。で、知恵あるシェーラザードは毎夜面白い話をして「すごい引きの強いところ」で話を終える。続きを聞きたい王様はシェーラザードを殺すこともできず・・・というのを千一夜繰り返したすごい話。
 イスラム世界の話なので、節々で常識というか文化がピンとこずに困った。
かなりウロだが、例えば「その部屋には片目の男が9人いた」という文に何の注釈も無し。たぶん「片目の男」か「片目の男9人」というところに、何らかの意味がありそうなのだがまったくわからないまま話は続く・・・こんな具合だ。

 そんな中で私のお気に入りは「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子の物語」。
 物語はシャールカーンという非のうちどころ無しの王子から始まる。「敵を滅ぼす者」という意のシャールカーンという名を持った非凡な王子は、やがて一人の美しい女と恋に落ちる。この女、実はギリシャの王女なので、ここで宗教問題も発生したりするのだが、ともかく運命のいたずらで王女は父のものになってしまい、逃亡中に子を産み落として死んでしまうのだ。
 シャールカーンは失意のままダマス太守に任命され、その地に赴く。
 ここから、なぜか話はシャールカーンの腹違いの弟ダウールマカーンとその姉ノーズハトゥが中心になっていく。で、ややしばらくたったあと、ダマス太守登場!長い失意の後にやっと恋の話・・・・が、お相手は実はノーズハトゥ(=妹)だったこと発覚!!
なんて、なんてついてないんだ、シャールカーン!
しかも、その後もシャールカーンの救いは一切なく、まるで「日出処天子」のラストのように、失意のまま終わる。ダウールマカーンが王位についてめでたしだったはずだ。
 なに、これ?弟の話だけでいーじゃん。なんでシャールカーンから始めるの?弟に王位を譲った話を正当化したわけ?・・・スッキリしねぇ〜〜〜〜!(でもシャールカーンを美化しすぎて一番のお気に入りになっている)

 色々面白いです。アラビアンナイト。
 宴会風景の食べ物の描写なんかは、すごい想像をかき立てられて楽しいし。
 あと、日本だと「顔色が青くなる」という表現が「顔色が黄色くなる」という風になっているのに人種の違いを感じた。



和宮様御留(かずのみやさまおとめ) (有吉佐和子)●

 母の本棚にあったので読んだ、というものの一つだ。
この作品は「和宮替え玉疑惑」を題材にしているので、本編とは別に、元ネタ紹介的な後書きも面白い。また、ドラマ化もかなり良い出来だった。
 よって、私の感想が本編のものなのか後書きのものなのかドラマのものなのか、かなりアヤフヤ。それどころか、徳川モノドラマの記憶ですらあるかもしれない。

 時は幕末。 天皇の妹である皇女和宮に徳川家への降嫁の話が出る。
 ある日、身分の低い少女フキが和宮のそば近くに呼ばれ、和宮と同じような生活をさせられるようになる。 実は、降嫁を嫌がる和宮の身代わりにするための準備だったのだ。

   歴史的にどこまで検証して書いたのかは知らないが、まず、宮様の日常生活というのが興味深い。
 青光りする紅、臭いお歯黒、冷たい白粉・・・
 自室に運ばれたタライのお湯に浸かり下女に拭き清められ、オマルに排泄した後を下女に拭いてもらう――――。
 世話をする下女は決してしかたなくやっているのではなく、本当に和宮を大切に扱っている。 そしてそういう下女の振る舞いが、和宮を愛らしい姫としてひきたたせている。

 和宮の降嫁はもちろん政略結婚だ。 作中、和宮は足が悪く、それを恥じて嫁入りを嫌がっている。
 足が悪いことに心を傷め、しかも文化の違う武家・徳川家に嫁がなければならない少女という歴史的設定に、高貴な愛らしさという小説的設定が上増しされて、フキともどもウッカリ
「和宮、かわいそう・・」
なんて思ってしまう。
 もちろん、本当に可愛そうなのはフキなのだが。
 想像しやすいものほど、感情移入しやすい。 「替え玉にされる」というフキの恐怖や不幸に比べ、和宮の不安や悲しさの方がよほど想像できるのだ。 もしかして、フキ自身が自分の置かれた状況よりも和宮の状況の方が理解できたのかもしれない。 そして自分の置かれた現実を直視しなければいけない時にはもう、狂うほどに泣き崩れるしかなかったのだろう。

 一説には和宮と徳川家茂とは大変仲睦まじく暮らしていたらしい。 それを伝える逸話に「草履の話」がある。
夫の家茂の草履が自分のものより下の段に置かれているのを見て、裸足でその草履を取りに降りた、という話だったと思う。
これはどうだろう?いくら仲が良くても、皇女として育った和宮にこういう判断ができるだろうか? 
 というわけで、二人の愛情を伝えると同時に、替え玉説の根拠ともなる話だ。
 私はこの逸話が好きだ。 この逸話の「和宮」が本人であろうとなかろうと、夫を思うごく自然な動きというのがとてもほのぼのしいではないか。 「和宮」という名を名乗った女性に、こんな幸せそうな一コマがあったなら、少しでも救われる気がするのだ。
(替え玉だった場合、必ずしも愛情で草履を揃えたとは言えなくなってくるが・・・(笑))



●沈まぬ太陽 山崎豊子●

   この小説は90%近くは実在の話に基づいているはずだ。
 登場人物に該当者がいるかどうか、その人がその場でどういった行動や言葉を出したのか、というのはこの際どうでも良い。 偶然にも旅行業界に就職したこともあり「ありそ〜〜」と思う部分が重くのしかかる話だった。
 日航機墜落事故は私が学生だった頃起きたものである。 当時の私には事故による悲惨な遺体、奇跡的に助かった4人の生存者が強く焼きついた。 疑問だったのが生存者の一人であるスチュワーデスが「また飛行機に乗りたい」と発言したということである。
 そういった疑問確認も含め、この小説を読んでみたいと思った。
 ところで小説の中で墜落事故を扱っているのは3巻だ。 私は墜落事故しか意識していなかったのだが、この話のメインストーリーは会社の暗部と戦う主人公にあるからだ。
 会社の腐った部分に立ち向かったために、不本意な転勤、職務をまわされる主人公。 異動命令には従いつつも、組合のトップとして闘いを続ける、おかしいことをおかしいと言う主人公。
私の上司はこういうところの方が身につまされ、引きこまれたようである。
 しかし、私は「そんな会社なら辞めればいいのに」というのがどこかにあるので、そういった部分はちっとも心に響かなかった。 それよりも 「そういう仕事があるのか」 とか 「腐った組合の様子」 とか 「実は御巣鷹山以外にも墜落していたらしい」 というところが興味深かった。

 だが、やはり一番は墜落事故の部分だ。
 遺体の状態がひどかったらしいことは事故当時から言われていたが、それが細かく描写されていた。 季節は夏、ものすごい臭気の中、熱で縮んだ指から夫を見分けた夫人、髪質から娘を探し出した母親・・・
 一番驚いたのが、大部分を失った遺体を布で修復して人型に見えるようにするという作業である。あの中でそのような作業がされていたことを初めて知った。

 明らかにモデルにされている日●航空の社員からすると「おいおい」という部分や「あいつもかたくな過ぎる」というリアル感想があるらしい。
 いずれにせよ、組織は大きくなればなるほど腐りやすいのだろう。 そして小さなことを見逃して大きな事故になるというのも永遠の法則である。

   


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