キリル文字の誕生 |
ロシア語の文字であるキリル文字は9世紀ごろ誕生しました。
ただし、その誕生のエピソードにはこんな話しがあります。
とある国の僧侶がキリスト教を伝道しにロシアに向けて旅に出ました。
その僧侶はロシアには文字が無いことを知って、学者さんが作った文字を教えるための物を荷台に積んでいました。
しかし道はでこぼこで途中で何度か荷台が倒れそうになりましたが後ちょっとでロシアの地にたどり着くころです。
僧侶(仮に爺)「ノワッ?!」
ロシアにたどり着くと言う所で、でこぼこ道に車輪を取られ大事な荷物をぶちまけました。
爺「あっはっは。やっちゃったなぁ。」
爺よやっちゃったじぇねーだろ。というか笑うな。
そして荷物に目を向けるともうぐっちゃぐちゃ。文字のかいた本やアルファベットの表やらが無茶苦茶になってます。 爺「あっはっは・・・・・」
そりゃあ笑うしかないですね。爺よ。
なにせ爺は僧侶のくせして、んでもって文字を教えに来たくせしてアルファベット覚えてなかったんですから
ですから爺はとりあえず拾って文字を適当に左右さかさまだろうがなんだろうがとにかく荷台に積んで出発しました。
そして爺はその無茶苦茶に順番が狂って左右さかさまの文字をロシアに広めキリル文字を作ったと言うことです。
めでたしめでたし・・・・・と行きたい所ですがこれデマです。早い話大嘘ってこと。
ここまで読んでくださった方申し訳ないですねぇ。ひひひ
ネット上にはこういった悪意愛をこめた文章が出回っています。その訓練と思ってくださいませ。へへへ
さて前置きはこれまでにして本当の話をしたいと思います。
ロシア語を含むキリル文字は9世紀ごろに誕生しましたそのころのヨーロッパはと言うと、西はフランク帝国や、神聖ローマ帝国
東は、東ローマ(ビザンチン帝国)と言う風にばらばらで、
宗教でさえも東はギリシャ正教、西はカトリックと言うようにローマ帝国時代の面影はどこにもなかったのです
でそのとき日本は東洋のはずれの後進国でありながら華やかな貴族文化が栄えていたころです
そのときのロシア地方をはじめとするスラヴ人の国はヨーロッパの中の後進国で、とあるビザンツ人の歴史家は
北方に住むスラブ人は1年に一度狼に変身する
と言われていたほど謎で、彼らにとって怪物同然だった未開な民族でした。
そんな中ビザンツ帝国の中にある兄弟がいました。メフォージー(メソジオス)と弟キリール(キリロス)
この二人は高官の子息でありその優秀さを買われ東ローマ法王から
北方のスラブ人に布教活動をしてこい
と命じられその旅路へとつきます
そしてかの地に着いた2人は、とあることを聞いて愕然と(したのでしょう)しました
なんとスラブ人の言語には文字がないと言うことを
普通この時代には、布教先の人にラテン語を教えて、そこから布教するというラテン語至上主義があったので、
多くの宣教師たちはこの手っ取り早い方法を使って宣教させていたのですが、貴方だったらどうでしょう?
いきなり分けの分からん奴がずかずかとやってきて分けの分からん言葉をしゃべり、その言葉を教え込まれて
挙句の果てには今まで信じていた神からキリストを信じろといってきたら?
間違いなく嫌な気分になり話を聞かないでしょう
「なーんだ、文字なんか要らないジャン♪」
と思った貴方。教活動には文字は不可欠なのです。ギリシャ語なりラテン語なりを話して聞かせるだけか
と思っていては、話を覚えてもらえません。しかもいちいち同じ事を説明していくのは至難の業です。そう(聖書)を書けばいいのです
そうすればたくさんの人に読んでもらえるし、それだけでたくさんの人を改宗する事ができるからです
聖書でもって神父(牧師はプロテスタント)さんや司祭さんを育成できてその人たちにも布教させれば・・・本当に心強いですよね
メフォージーとキリールの兄弟は何とか改宗をさせたい!と思い、文字を作っていきました。
863年もしくは、862年とも言われています
その名も「キリル文字」です。

しかし文字を完成させたのもつかの間、
弟のキリールが亡くなり、兄のメフォージーも運命にさいなまれながらその数奇な生涯を閉じます。
その後キリル文字を広めていったスラブ人の国(モラビア)も滅ぼされ、そこの宣教師達は各国へと散っていってそこで、
キリル文字を広めていきました