元々は18世紀になってから作曲家ハイドンが皇帝のために作ったといわれている歌がこの国歌のもととなっています。
そのころは国歌も3番まであってそれぞれ歌われていました。
で、その一番は
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Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt -
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.
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ドイッチュラント ドイッチュラント ユーバー アッレス
ユーバー アッレス イン デア ヴェルト
ヴェン エス ステッツ ツー シュッツ ウント トルツェ
ブリューダーリヒ ツーザンメンヘルト
フォン デア マース ビス アン ディー メーメル
フォン デア エッチュ ビス アン デン ベルト
ドイッチュラント ドイッチュラント ユーバー アッレス
ユーバー アッレス イン デア ヴェルト
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世界に冠たれ 全てに輝け
西部より東部へ
南部より北海へ
御神の愛でし地や
兄弟よ 奮い立て
世界に冠たれ 全てに輝け
世界に冠たれ 全てに輝け
二番は
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Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang
Sollen in der Welt behalten
Ihren alten schönen Klang,
Uns zu edler Tat begeistern
Unser ganzes Leben lang.
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang.
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ドイッチェ フラオエン ドイッチェ トロイエ
ドイッチャー ヴァイン ウント ドイッチャー ザンク
ゾーレン イン デア ヴェルロ ベハルテン
イーレン アルテン シェーネン クランク
ウンス ツー エドラー タート ベガイシュターン
ウンザー ガンツェス レーベン ランク
ドイッチェ フラオエン ドイッチェ トロイエ
ドイッチャー ヴァイン ウント ドイッチャー ザンク
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独逸が撫子に 独逸が誠と
独逸が美酒に 独逸が歌や
世界に示せや
我が標(しるべ)とならん
独逸が撫子に 独逸が誠と
独逸が美酒に 独逸が歌や
(両方とも訳:ウラジーミル)
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三番は今のドイツ国歌です。
一番はナチス時代に国威掲揚として頻繁に歌われていた背景があり、戦後になってから「ナチスを連想する」として歌われなくなった、とよく言われますがそれは誤りで、歌に出てくる地名に現在ドイツ領でない場所が含まれているのが本当の理由です。また、そもそも詞が作られたのはナチス時代以前ですので、一番の歌はナチスとは縁もゆかりもありません(もちろんナチスが民族意識を高揚させる為悪用した事実はあるでしょうが・・・)
さて歌詞では東部西部南部・・・と意訳していますが、
西部に当たる地名が「マース川(Maas,現フランス・ベルギー・オランダ。これはオランダ側での呼び名。)」、
東部が「メーメル川(Memel,現ベラルーシ・ロシア(カリーニングラード州)、リトアニア。リトアニアでの呼び名はネムナス川)」、
南部が「エッチュ川(Etsch,現イタリア。イタリアでの呼び名はアディジェ川)」、
北海が「ベルト海峡(現デンマーク。デンマークでの呼び名はStorebælt(読み方わかりません))」となっていてことごとくドイツ領ではなくなっています。
(※エッチュの原流域は「オーストリア」の南チロル州で「ドイツ語を母語」とする人々が住んでいますが「ドイツ」ではありません)
ですからこれらの地域を「国歌」としてたからかに歌うことはドイツは未だに領土的野心を持っていると疑われかねないので歌われなくなりました。
国歌ではありませんが昔、「蛍の光」の一番最後の部分に「台湾の果ても 樺太も」というフレーズが出てきて歌われなくなった事と似ていますね。
さて今となってはドイツでない地域が何故国歌として歌われていたのでしょうか。その理由は、この歌が作られた19世紀ごろにドイツ語を母語とする人々が住んでいた領域を表す東西南北の境を示しているからです。当時のドイツは、北部が形骸化し崩壊した神聖ローマ帝国の他に統一国家を持たない地域、南部がオーストリア(オーストリアも神聖ローマの一員でしたが、話がややこしくなるので割愛)・・・と諸侯の領地に分裂し、ドイツ語を母語とするいわゆる「ドイツ民族」として一つの国を持たない地域でした。ですから他の国々に干渉されやすく、多くの人々がなくなった三十年戦争などたくさんの悲劇が生まれました。そこで「バイエルンもプロイセンもオーストリアもザクセンも皆同じドイツではないか、同じドイツ語を話す民族同士、互いに統一国家を作ろうよ!」と統一を願うようになったのは当然の成り行きだと言えます。そのような流れの中この歌は誕生しました。
しかし、その後ドイツ地方がプロイセンによって「統一」されたことでドイツ帝国が成立し、統一の願いはかなえられますが、その後第一次世界大戦による敗北とその混乱がドイツを襲います。この混乱がナチスの台頭を招き、第二次大戦の勃発と敗北、英米仏ソによる分割統治を迎え、遂にはドイツは東西に再び「分裂」させられてしまい、「再統一」がドイツ人の再びの悲願となりました。
このような中で「諸侯の統一」として作られた3番が奇しくも「東西の統一」として再び注目を浴びることになる所に歴史の奥深さがあるかと思います。また、ドイツ連邦共和国の標語は「統一と正義と自由(Einigkeit und Recht und Freiheit)」となっていて再統一後もこの標語が掲げられています。
このように3番だけしか歌われていない背景やドイツの数奇な歴史を考えると、この歌は正しくドイツにふさわしい国歌だと思いますがいかがでしょうか。