♪ スラヴの娘の別れ ♪
Прощание славянки

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訳 ウラジーミル

我等が隊伍 いざ征かん
敵地の彼方へ
我が父と 汽車に乗り
戦線へと赴く
若き日の冬より
四十路にベルリンへ
野を越え 道を行き
全国より集う

  我征かば 邦は呼ばん
  郷を離れ 聖戦へ征かん

  我征かば 邦は呼ばん
  郷を離れ 聖戦へ征かん

(大地が揺れる 国が進む
何時も 幸運へ
平和と労働へ

何時も 幸運へ
平和と労働へ

  我征かば 邦は呼ばん
  郷を離れ 聖戦へ征かん)


Этот марш не смолкал на перронах,
Когда враг застилал горизнот.
С ним отцов наших, в пыльных вагонах
Поезада увозили на фронт.
Он в семнадцатом брал с нами Зимний,
В сорок пятом шагал на Берлин.
Поднималась за ним вся Россия
По дорогам и сопкам шальным.

  И если в поход
  Страна позовет
  За край наш родной
  Мы все пойдем в священный бой

  И если в поход
  Страна позовет
  За край наш родной
  Мы все пойдем в священный бой

(Шумят в полях хлеба
Шагает Отчизна моя
К высотам счастья сквозь все ненастья
Дорогой мира и труда

К высотам счастья сквозь все ненастья
Дорогой мира и труда

  И если в поход
  Страна позовет
  За край наш родной
  Мы все пойдем в священный бой)



エータト マールシ ニェ スマカール ナ ペローナフ
カグダー ヴラーク ザスチラール ガリゾーント
スニム アツォーフ ナーシフ ヴドゥイームィフ ヴァゴーナフ
パィエズダー ウヴァジーリ ナ フローント
オン フシムナーツァタム ブラール スナーミ ジムニー
ヴソーラク ピャータム シャガール ナ ベルリーン
パドニマーラシ ザ ニム フシャ ラシーヤ
パ ダローガム イ サプカーム シャリヌィーム

  イー イェースリ ヴ パホート
  ストラナー パザヴョート
  ザ クラーィ ナーシ ラドノーィ
  ムィフシェ パイジョーム フスヴャシシェーンヌィ ボーィ

  イー イェースリ ヴ パホート
  ストラナー パザヴョート
  ザ クラーィ ナーシ ラドノーィ
  ムィフシェ パイジョーム フスヴャシシェーンヌィ ボーィ

(シュミャート ヴ パリャーフ フレバー
シャガーイェト アッチーズナ マヤー
クヴィソタム シシャースチャ スクヴォージ フシェ ニナスチャ
ダローガィ ミラー イー トルダー

クヴィソタム シシャースチャ スクヴォージ フシェ ニナスチャ
ダローガィ ミラー イー トルダー

  イー イェースリ ヴ パホート
  ストラナー パザヴョート
  ザ クラーィ ナーシ ラドノーィ
  ムィフシェ パイジョーム フスヴャシシェーンヌィ ボーィ)


この歌はロシアの愛国歌や軍歌といったところで、1912年、バルカン地方に戦争の影が潜み切迫した時代に作られました。
しかし1912年当時の歌詞は上に書いてある歌詞とは違います。
当時の歌詞はここ(BGMに注意)
を見てくださいね。

で、この歌詞は瞬く間にロシア中に広がり、第一次・二次世界大戦を通してポピュラーな行進曲となりました。
「スラヴ娘の〜」のスラヴはロシアにおけるスラヴ派に対する賛辞とも言われています。
そして1990年代、共産主義の崩壊とともに新生ロシアが誕生しました。
そのときにこの歌は新国歌として推奨されました。もしかしたら国歌は愛国歌でなかったのかもしれませんね。
この歌を推奨したのがヤブロコ党です。
現在ロシア国歌とならずこのヤブロコ党の党歌となっているそうです。
映画では『コーカサスの虜』(1996)にこの歌が歌われています。
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