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’86春 4人がそれぞれ上京。
テツヤさん崎山さんは文化服装学院に、
正宗さんと田村さんは東京造形大学に進学。
ここで正宗さんと田村さんは出会う。
草『僕はソバージュ田村は長髪。
ロックの話が合って仲良くなった
ちょくちょく田村の家へ遊びに行っては
ファミコンに入り浸り、バンドをしたいって
話もしてた』
7月 サークルの上の人に無理矢理入部希望者の
リストを借りて片っ端から電話してドラムを探す。
”歴代スピッツのメンバーで一番ルックスがよかった”
らしい大野君をドラムに迎えチーターズ結成。
田『草野はギター弾きながら歌ってた。
でもそれが難しいとゆうことで西脇くん
ていうギターが入った』
草『実はそのバンドでもうザ・スピッツと
名乗ってた』
’87春 正宗さんが武蔵野美術大学に再入学。
ブルーハーツに衝撃を受け、バンドをやる気が
なくなっていたこともありザ・スピッツ自然消滅。
でも田村さんの家にファミコンがあったことで
二人の関係は継続。
 
再び本格的にバンドを計画。
田村さんが中学の頃から一緒にコピーバンドを
していたテツヤさんを紹介。
テ『出会いは運命的だと今にして思う。
正宗とは初めて会った感じがしなかった』
  テツヤさんが『ヘルプでいいからドラム叩いて』
と崎山さんを誘う。
崎『その頃は5つ位掛け持ちしてた。
スピッツはその中の一つだったけど
練習やライブがだんだん増えてきて
そのまま・・・』
草『一回入ったら脱会できないシステムに
なってた(笑)』
’88 11月 2曲入りソノシート「鳥になって/UFOの見える丘」を
自主製作、発売。
 
’89 頭 この頃から正宗さんがアコースティックギターを持つ
ようになり現在の形態が確立。
草『”恋のうた”は初めはアコギなしで
やってた。だんだんアコギをバンドの中で
生かせるようになってきた時にできたの
が”ヒバリのこころ”や”晴れの日は
プカプカプー”』
2月 オムニバスライブで憧れの新宿ロフトのステージに
立つ!
崎『田村が授業中の僕を呼び出して
「ロフト決まった!」って言ったのを覚えてる』
7月12日 新宿ロフトで初のワンマンライヴ。
三百人を動員。
テ『その時のみんなの感想は
やっぱロフトはすごい!』
12月 ロフトでのマンスリーライヴ
「鳥になっちゃう日」スタート。
1年間に10回行う。
 
’90
3月21日
初の6曲入りCD「ヒバリのこころ」
リリース。
 
5月 イベント「ロフトサーキット’90」
に参加。全国5ヶ所でライヴを行う。
草『俺がバイトして溜めたお金で買った
車で田村の実家に行って、田村の
家がやってるホテルの車に乗り換え
福岡まで行った』
崎『福岡では正宗の実家に泊まったんだけど
玄関の外側に「ヒバリのこころ」のポスター
が貼ってあった(笑)』
’91
2月25日〜
「五千光年の夢」というタイトルで
シアターコンサート開始。

3月25日 1stアルバム「スピッツ」リリース 草『必要以上に多くの人に自分の
事が知れ渡る事に対してものすごく
構えてたし、警戒してた。その警戒心が
すごく曲に現れていると思う』
11月25日 2ndアルバム「名前をつけてやる」
をリリース。
草『この頃は常に動員数は四百人位。
増えも減りもしなかった』
11月2日〜 「名前のないツアー」と題した
初の全国ツアーを行う。
 
’92
4月25日
オーケストラアレンジによる5曲
入りミニアルバム「オーロラに
なれなかった人のために」を発表。
田『ライブが楽しかった』
草『この時にいろんな人に出会えて家族が
増えたような感じがした』
9月26日 3rdアルバム「惑星のかけら」
をリリース。
草『男のファンがつくようなバンドになりたい
と思っていて「惑星のかけら」「シュラフ」は
男の人が聴いた時にいいなと思う曲に
したかった。スピッツを分かってもらう為には
聴いてもらわなきゃだめだ!って珍しく
積極的になって(笑)、アコギを持っていろんな
所に行ってみようと思った』
11月14日〜 アルバムをひっさげて全国ツアー
スタート!
 
’93
3月12日〜
「スピッツの春夏夜会」
毎回趣向を変えて毎月12日に
渋谷ON AIRで半年間ライブを行う。
テ『いろんな面で強くなった。ライブが
楽しくなってもっとやりたいと思った』
草『お客さんは増えてきてたけど二十人、
三十人を相手にしてた頃の感じを忘れないように
しようって思った』
9月26日 4thアルバム「Crispy!」リリース。  
11月6日〜 「spitz Crispy! Amazing Tour」
を全国8ヶ所で行った。
草『自分達のやりたいことに忠実に
自分で納得できることを楽しんでやらないと
意味はない、というのが分かってきていた』
’94
3月13日〜
ライブツアー「Spring Has Come!」
を全国11ヶ所で行う。
 
9月21日 5thアルバム「空の飛び方」リリース テ『周りの雰囲気はこのへんから変わってきた。
お客さんの反応も今までと違った』
崎『ブレイク寸前 だったからね(笑)』
11月6日〜 空飛びジャンボリーツアー’94を
全国13ヶ所で行う。ソールドアウト。
田『メンバーが前向きにライブの事を
考えられるようになってたよね』
草『ソールドアウトするとスタッフは喜んでくれるし
うれしいけれどチケットが取れなくなったという
手紙をもらうと本当に申し訳ないと思う。
みんなに聴いてもらう為にリハして曲を作ってる
わけだから』
テ『いつまでもでかいホールでも
小さいライブハウスでもできるようなバンドでは
ありたいよね』
’95
3月8日〜
ジャンボリーツアー’95春を全国
6ヶ所で行う。即日ソールドアウト
草『動員も良くなったしもうこの状態で満足だー
これでマイペースに作っていきますっていう
感じだった』
4月5日 「ロビンソン」リリース。超ビックヒット。 崎『今後も自然体でやりたいですね』
田『クオリティの高い作品を出し続けたいから
もっともっと音楽に興味を持って枯れないように
していきたい』
草『インディーズの時のような手作り感覚、
自分達の気持ちがジャケットやポスターや
すべてに及ぶ音楽作りをこれからも大事に
したいよね』
テ『スピッツはいいなあっていうのもうれしいけど
スピッツライブを観て音楽っていいなあって
思ってもらえれば幸せです。それがやってる側と
ファンとの距離感を一番近づけるものだと思うし』

 

 



95年以降はTVやラジオ、雑誌等にも多数出演されました。

今こうして有名になっていても
”初心を忘れない”って気持ちを保てるのって、スバラシイですね。

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