創立50周年を迎えて
日下部 勇
1949年(昭和24年)末、当時高校生だった小宮会長等により、故豊田実・故志方欽二・斎藤常未・大滝禾男の諸氏の御支援を受け、「山沼植物研究会」の仮称の下に発足、翌年1月には会誌創刊号が刊行されました。それから50年、会誌も167号を数えるに至りました。創立5年後の1954年、危機を迎え、翌55年には会誌の発行を中断する事となったものの、無事この事態を乗りきり、粥年4月に第17号が刊行されています。
1957年鈴木吉五郎氏により《食虫植物一採り方・殖し方》が刊行され、大先輩により栽培の奥義が平易に解説されました。私は本書により
本会の存在を知り、入会したのは58年の事で、奇しくも同じ頃笠原一浩・内藤弘昭・平野正治・山川学三郎の諸氏が加入されています。そ
して同年1月山川氏により、待望のCephalotus の生品が輪入されています。会誌33号から私が編集を任され、既往の会誌の総目録を刊行しました。それは創立20周年記念号〈会誌第50号)に、当時の会長根津氏が述べられた如く「同好会の会誌としては稀れにみる充実した内容で、植物学の発展向上に、大いに寄与するところがあった」からです。
1964年には豊島正巳氏が会員として初めてボルネオにNepenthesの採集に出掛けられました。その後の渡航自由化に伴い、豊島・英・倉田・
近藤・小宮・村田・棚橋の諸氏が、世界の各地に出掛けられ、その成果は会誌上に報告されました。
64年には笠原一浩氏により、ポケット版の「食虫植物の驚異」が出版され、食虫植物の知識の普及に、多大な効果をもたらしました。66年には清水清氏により「写真集・食虫植物」が刊行され、氏が長年にわたり撮影された、食虫植物をカメラで探究した豪華本でした。68年にはタキイ種苗出版都から「新花井57号・食虫植物特集号」が発行されました。当会の20周年記念事業の一環として、内藤・豊島両氏の御冬カにより取り纏められたもので、誠に充実した内容を含むものです。同年これまた20周年記念として「食虫植物史資料」が発行されました。これは日下部が世話役となり、皆の資料を持ち寄り、10年の歳月をかけて取り纏めたもので、1607〜1967年間の主要事項を、年表式に配列したものです。
この頃の栽培品の発展増加は目覚ましく、67年近藤誠宏氏発行の《食虫植物目録・第一号〉には、実に13属155種が収録されており、その内容は世界的水準に到達しておりました。69年の佐賀大博覧会には、石津氏の御冬力により食虫植物舘を設置して、大規模な展示・デモンストレーションが行なわれ、大好評を得る事ができました。67〜68年に掛けて、倉田重夫氏のミンドロ島・キナバル山遠征に際し、本会にて資金の一部を立て替え、帰国後採集品・スライド等の頒布の利益金を充当する事とし、誠に有益な企画でした。
1962年兵庫農大・佐藤教授に拠りカンボジア産のN.thoreliiが導入され、山川・近藤・豊島氏の下で栽培に成功、戦後の交配種の
片親として利用される事となり、67年近藤氏によりNagoya(Mixta x thorelii〉が初めて作出されました。
1965年8月豊島・倉田の両氏はミンダナオ島北東部にネペンテスを採集、発見した新種にN.globamphora と命名、研究会誌第36号に日本
語で詳細に図示記載されました。然しこれはラテン語の記載を伴わず、正式の発表とは認められぬ為、その後近藤勝彦氏により採集され、
1969年N.bellliiと命名記載されたものが正式名となりました。なお66年には堀田満氏によりN.muluensisが記載されております。
さきに豊島氏によりミンダナオ島に採集されたN.alataが、その頃我国でN.hybridaaとして広く栽埼され、〈ヒョウタン・ウツボカズラ〉と呼ばれているものに瓜二つである事が指摘されました。ヒョウタン種をN.hybridaと命名したのは、以前林博太郎伯爵の園芸主任を勤め、その後東京会館の温室管理を担当された久保田美夫氏〈戦後千葉大学園芸学部嘱託)で、戦争の為温室植物が絶滅するのをおそれ、蘭及びネペンチス等を八丈島に疎開されたが、そのなかにヒョウタン種も含まれていたわけです。N.hybridaに関する記録は極めて少なく、本種をヒョウタン種とする決め手は無く、大いに悩まされましたが、結局N.alataであると言う事になりました。又N.stenophyllaの名で残存した種は、ルソン島バギオ産のN.alataと同定されました。
更にもうーつ解決されたものに戦前《ドイツ・コモウセンゴケ》の名で小石川植物園の松崎直枝氏から流布され残存したDroseraがありま
す。これはドイツの植物園からD.spathulataとして種子輸入されたものですが、ドイツにコモウセンゴケが有る筈が無いとて、戦後には≪豪州
コモウセンゴケ》 と改名されておりました。1965年3月、平野正治氏が南アフリカ・キルステンポッシュ植物園より入手されたD,curviscapa
の種子は、数氏の処でその発芽育成に成功されました。処がその形状が余りにも従来のドイツコモウセンゴケに近似している処から,平野氏
はその標本を豪州に送り,鑑定をお願いしました。そしてヴイクトリア州王立植物園から、 豪州産のモウセンゴケには,本種に該当するもの
は無いので,貴方の植物は他国原産のものと考える。」との返事がありました。これに力を得て,南亜産のDroseraに関する諸文献を調査の結果,
(ドイツコモウセンゴケ)はD.curviscapaであり,送付された種子はD.cuneifoliaのものであったと推定されました。 1966年6月小宮定志氏は食虫植物調査研究の為, 3ケ月欧州に出張され,各地の著名な植物園等を調査されましたが,どこの植物園でもD.spathulataのラベルを付けて(ドイツコモウセンゴケ)が栽培されていました(ミュンヘンB.G.のみD.aliciae)。そしてキュー標本館の資料等からD.curviscapaと確定されました。
明治末年の頃刊行された「肉食植物之研究」の著者として知られる服部他之助氏に就いて,本会員の協力により解明された事項も特記すべ
きものとおもいます。会誌36号(1966)に笠原ー浩氏は服部氏が文久3年(1863)生まれで、本簿山口県の士族である事を解明されました。こ
れを手掛りに志方欽二氏は本籍地村役場等に照会、現在同氏の令孫が小平市に居られる事を突き止めました。そこで今度は日下部が令孫中島
氏にお手紙を差し上げ、先生のお写真など拝借出来ないか、お願いしました。暫くして御返事があり、先生の没後編集された「追想録」を拝
借出来る事となり、必要部分をコピーさせて戴きました。かくして会誌49号に先生の写真に添えて略歴を発表する事が出来ました。
1966年埼玉県羽生市のムジナモ自生地宝蔵寺沼が、国の天然記念物に指定されました。処がその夏台風14号の被害を受け、殆どのムジナモ
が流失してしまい、然も有機水銀系農薬の流入に拠り、完全に汚染されて、回復不可能となってしまいました。かねて「羽生市ムジナモ保存会」会長篠原順氏は、人工栽培に拠りムジナモの保存を計っていたので、何回かの放流も試みたが、不成功に終りました。何れ同地に自然公園が作られる予定なので、一隅に研究観察区域を作り、理想的な人工池を設けてムジナモを放流する事となりましょう。
舞鶴市の永本二郎氏は、1968年頃、Droseraの人工交配種の作出に早力され、多数の交配種の作出に成功、D.Nagamoto〈=anglica x spatulata)は世界中に流布栽培されております。
71年倉田夫妻はフイリッピン・ボルネオのネペンテス調査に、又豊田良男氏はボルネオ・キナバル山に登頂してネペンテスの調査を実施、共に多量の収穫をもたらされました。
72年近藤誠宏・勝彦両氏共著の「食虫植物・入手から栽培まで」(カラー版296頁)が文研出版社から、清水清氏著「食虫植物のひみつ」(カラー写真版54頁)があかね書房から刊行され、食虫植物ブームに火を看ける事となりました。この頃近藤誠宏氏所有の豊田市の露地栽培場は、総面積1万3千坪、谷を取り囲む様々な成育条件を備えた傾斜地で、常に水が湧き出しており、邦産食虫植物10種の外、外国産のDrosera Sarracenia Dionaeaなど、皆見事に成育・増殖していました。
会員本多真氏はアメリカ・アリゾナ大学に留学、アメリカの食虫植物事情のほか、Darlingtonia Sarracenia等の自生地の調査報告
など、多くのレポートを寄せられています。 尚特記すべきは、73年の植物研究雑誌に吉村氏により「コウシンソウ・P,ramosaの染色体が、2n=18と報告され、本種が古い時代に分化し,他種から孤立した遺存固有種である事が判明した事です。
この年10月に研究会の会員バッヂのデザイン決定,翌74年の会費をバッヂ代(300円)を含め2000円に値上げ,編集委員は豊田・倉田両氏に
交代し,オフセット印刷を採用,豊富な写真や囲版を組み込む様になりました。そして1972年に倉田重夫・ G.Mikil両氏により実施されたスマ
トラ島の採集旅行の成果として, Nepenthes campanulata, N.rhombicaulisの2新種類が発表されております。
1972年4月には、当時アメリカ留学中の近藤勝彦氏の御早力で, J.A.Mazrimasに拠り(carnivorous Plant Newsletter)が刊行されま
した。
75年の会誌71号は25周年記念号となっております。この年7月英清道氏はスイスに転勤され,∫.Steiger氏の指導の下周辺の山地のムシトリスミレを調査,会誌にその詳細を報告されました。この秋渥美比呂志氏はフイリッピン・マニラの園芸店でN.ventricosaを購入されました。それはルソン島南東部マヨン山付近のものとの事でしたが,その帯赤色有難の捕虫袋から、倉田氏はN.burkeiと推定されました。翌76年アメリカから有斑のN.ventricosaが届きました。それはルソン島産で自生地では数型あり, N.alataとの雑種ではないかと言ってきました。 77年岡山の藤氏が持ち帰られたN.ventricosaも渥美氏と同様の帯赤色有斑の袋を着け、これらは容易に開花,幾多の交配種も作出されました。 82年小宮氏はこの帯赤色有斑種が基本型と判定、 N.ventricosaf. ventricosaと、在来の黄緑袋を看けるものはその緑化品種として, N.ventricosa f.luteo-viridisして区別されました。
76年ボルネオのサバ国立公園局からの依願により倉田重夫氏は(Nepenthes of Mt.Kinabalu) (英文・カラー版80頁)を刊行され,
多くの登山家の手引書となりました。 78年には小宮・清水両氏の「食虫植物一栽培と観察実験」(ニューサイエンス社・90頁)、小宮氏「観察と
栽培一食虫植物園鑑」 (朝日ソノラマ・ 158頁),更に山川学三郎氏の「食虫植物」 (保育社カラーブック・ 151頁)が相次いで刊行された結果、 77年迄400名だった会員数は急増し、79年には540名に達しました。78年6月には、コウシンソウ切手(50円)も発行されて居ります。79年には本会員の執筆に拠る「食虫植物−ふしぎな魅力」(ガーデンシリーズ・199頁〉 が、誠文堂新光社から発行されて居ります。
京都大学・古曽部園芸場の河瀬氏は、1974年以来ネペンテスの交配を重ねる事数十回、作出品は京都に因み「古都」シリーズとして命名、その維持・保存を図る為、79年頃より余剰苗を放出され、広く栽培される様になりました。77年春山川氏作出のN.thoelii x maximaはN.Rokkoと命名され、翌年末約100株が国内は勿論世界中に流布され、我が国で作出された交配種としては最も普及したものとなりました。
1966年の台風で流失絶滅した羽生市のムジナモは、人工栽培により保存維持されておりましたが、水路の改修も終わった1979年実験区を設け、水路を二重金網で仕切る等の対策の上、ムジナモ栽培品の放流を致しました。その結果は上々で、秋には自然増殖200%の好成績を挙げる事ができました。
1980年7月、64年以降初代会長豊田実氏の後継者として永らく会長を勤められた根津文雄氏が急逝されました。次期第3代会長には清水清氏に御願いしましたが、86年には小宮定志氏が第4代会長に就任、現在に至っております。同じ1980年8月には近藤誠宏氏が永眠されました。しかし氏が主催されておりました(名古屋食虫植物懇議会)は、石坂悟氏が後継者となり活動を続けております。
1981年、根津記念賞が設けられました。御遺族からの御寄付に会の余剰金を加え、第1回は7月下旬の伊勢丹展示会出品物の品評会として、見学者の投票(非会員を含む)に拠り決定、翌年の新年会席上で第1回記念賞〈根津記念賞1名、研究会賞2名)が授与されました。然しこれでは東京のみに片寄り、全国の会員に不利になるとの反省から、今後は研究成果・栽培技術の評価に対し授与する事となりました。尚同年6月には(初心者講習会)が催され、回を重ねて第4回は82年10月に(栽培品を持ち寄る会)と改名されております。
1982年4月、会誌第100号が刊行されました。創立33年目に当り,会員数680名に達しました。表紙は前年8月倉田重夫氏が西カリマンタンの奥
地に再発見されたN.clipeata)の図が掲載されております。最初の発見から約90年を経ての快挙で、会誌を飾るに誠に相応しいものでした。
1980年中川・越川・小松・清水の諸氏がマレーシア・キナバル等に調査研究に出掛けられました。そして81年には阪神航空主催の植物ツアー(フイリッピン・ミンダナオ島北部の食虫植物を訪ねて》が催され,本会からは豊田・森・越川・奥山・佐藤(安) ・柴田(千) ・山本(圭)の諸氏が参加、 82年には〈マレー半島と秘境ボルネオの植物と自然を訪ねて〉のツアーが開催され、本会からは山本(卓) ・越川の両氏が参加,添乗員付の採集旅行が可能となり,その成果は会誌に報告されております。
80年3月ブラジルに移住された小坂田泰直氏から, 81年会誌98号に現地観察のGenliseaの自生状態等が報告されています。同じくブラジル在住の岩崎ヨシアキ氏からも採集記が送られ,会誌105号, 115号などに掲載されております。両氏共に食虫植物生品持参で移住されたので、 83年には岩崎氏によりブラジル最初のNepenthes交配種が作出されており、 85年には小坂田氏もまた成功されました。かくして岩崎氏には〈ブラジルにおける自生地調査及び食虫植物の普及活動)の功績に対し、 87年度の研究会昔が授与されて居ります。
片桐義昭氏は, (モウセンゴケ属葉身屈曲の観察)を続け、 80年の第1報(合誌94号)以降第9報迄,その詳細を会誌に寄稿されました。この
功に対し82年研究会昔を授与されました。又佐藤安司氏は81年邦文古書に見る食虫植物に就いて,更にリンネ以前の食虫植物の画や、 100年以
上前のガーデナースクロニクル・ボタニカルマガジン等の記事や図を収録されました。
1982年池田柳治氏は,従来不可能とされていたNepenthes alata (ヒョウタン種) 2株の所謂呼接ぎに成功, 83年4月の総会の席に展示,その
詳細を会誌105号に発表され,その功により翌年1月の新年会に於て、根津記念貰を授与されました。
東京都八丈島の奥山一正氏は、温暖な地の利を活かし、1963年頃よりNepenthesの栽培に着手、78年より交配育種に励み、86年にはhachijo以下15交配種を発表、最近のカタログには原種・交配種・品種を含め、Nepenthes130種が掲載されて居ります。かくて1993年《永年に亘る普及活動と会への協力支援に対して》特別賞が贈られております。1982年には海路・航空路による八丈島見学会が催されました。豊田良男氏がリーダーとなり民宿に一泊して八丈の自然と日の出花壇・一正園等の見学や食虫植物の購入を実施、好評の為85年からは夏期休暇に変更され、定例行事となりました。尚国際的定期刊行物の引用を容易にする為、1982年会誌102号より国際標準逐次刊行物番号《ISSN O286-6102》の記入、83年103号を(Vol134,No.1)とし、当会もその一員に加わる事となりました。
永い間には様々な会員が集まるもので、M氏は誠に研究熱心で、会誌にもしばしば投稿して居られましたが、熱が高じて諸先輩に早朝・深
夜に電話問い合わせする等その異常性格に基づくストーカー的行為に及ぶ様になり、皆に多大な迷惑を掛ける事となりました。会としても
種々対策を講じた結果、86年3月本人からの退会届を受理、一件落着となりました。
83年5月近藤誠宏・勝彦両氏は、家の光協会より〈原色食虫植物(カラー版Z犯頁)〉と題する、マニア向きの本を刊行されました。1983年倉田重夫氏は、渥美比呂志・小松泰信の両氏と共にスラウェシ島のNepenthesを調査され、多くの収穫を得られましたが、同じ頃同島を調査したJ.R.mmbull&AT.Middletonと重複する処となり、84年発表の3種の内、N.eymaeのみが承認されました。尚倉田氏はその著書に裸名で記載した自然雑種〈rajah × villosa〉にN.x kinabaruensisと命名発表されております。
84年岡山洋蘭協会の岸野正巳氏は、フイリッピン・ルソン島北部ボントク・バナウェ間のポリス峠の南地点に、〃Nepenthes ventricosa(緑色系)の自生を発見、その採集・導入に成功されました。それは80年に同地域を調査された越川氏の予想通りでした。
この頃北海道の食虫植物を調査された外山雅寛氏は石狩郡新篠津村の《新篠津湿原》にミミカキグサ2種が現存する事を確認、更に各地にその自生を発見され会誌上に報告されました。氏の《北海道に於ける食虫植物分布の精査及びミミカキグサ類の保護増殖実験》の功績に対し、85年度の研究会貰が授与されております。
愛知県知多半島の武豊町壱町田湿地には、ヒメミミカキグサ等約10種の食虫植物が自生しております。同町文化財保護委員の和田基己氏は
永年壱町田湿地の保全並びに食虫植物群生地の保護管理に与力され, 85年10月には「武豊町の埴生(B5版203頁)」と題する大冊を著わして居
られます。これ等の功績に対し, 86年根津記念賞が授与されております。また、前述の如く,京都大学農学部付属古曽部園芸場の河瀬晃四郎
氏は1974年以降の交配記録の全容を発表され、引続きウツボカズラ《古都シリーズ》の品種特性の詳細を記録発表されました。この功績に対
し1990年の研究会貰が贈呈されております。
1990年頃、イギリスのS.ElampardとR.Muddは、 《International Pinguicula Study Group》を結成し,メキシコ産ムシトリスミレ頬の現地採
集並びに研究に励みました。その結果続々と新種が発見記載される様になりました。当研究会の少壮気鋭の熱心家は海外の愛好家と密接な連
絡をとり新種の導入を図った結果、多くの新種が導入され,最近の展示会の中心を占める様になりました。尚佐藤大作氏はムシトリスミレ
類の無菌培養に成功, 〈ムシトリスミレ属の系統栽培その他)の功績に対し97年度の研究会賞が贈られました。又イギリス・ノッチンガム大
学留学中の島井弘男氏はスイスのシュタイガー氏の指導の下,ヨーロッパ各地のムシトリスミレ等の自生地を調査,採集品は即刻日本に郵送
されました。お陰で多くの珍種が導入され、その自生地の精細な探索結果は会誌上に報告されました。この功績に対し, 97年度の根津記念貰
が贈呈されました。
1990年は牧野富太郎博士が江戸川の河川敷にムジナモを発見されてから丁度100周年に当たるので、 (ムジナモ発見100周年年記念碑)の建立が大滝末男氏により提唱され,研究会としても募金活動を行なった結果, 90年6月10日江戸川区長・牧野家御親族の御臨席のもと,記念碑の除
幕式が行なわれました。この年は又三好学博士の《コウシンソウ発見100周年記念》にも該当します。コウシンソウは1921年に《天然記念物》
に指定され、更に1952年には《特別天然記念物》の指定を受け,手厚く保護されて来ました。そこで足尾町では更なる保護を企図し, 〈コウ
シンソウ発見100周年記念》テレホンカードの発行と、 6月23日記念登山と銀山平公園管理事務所でのシンポヂュウムを開催しました。
1990年には大阪鶴見緑地公園にExpo90国際花と緑の博覧会》が開催され、大温室「咲くやこの花舘」には大阪市大植物園よりサラセニア,
ネペンテスが,京都ー茎園からダーリングトニア,セファロータスが,更に本会貝豆田氏によりヘリアンフオラ,プロッキニアが展示されま
した。
91年4月の総会の席上,会員林田氏により初輪入された、最近食虫植物の仲間入りをしたIbicella luteaの種子が配布されました.
1992年8月,奈良県との県境近い三重県飯南郡飯高町森地区内の高度600〜800)メートルの谷合の岩壁にムシトリスミレが自生する事が報じら
れました。それは既知の自生地、南アルプスと徳島県の石立山(1708メートル)の丁度中間点に位置し、早速保護活動が講じられました。
1993年の会誌144号には小宮定志会長により「Carnivorus Orchidは本当に食虫植物か?」と題し食虫植物,蟻植物の類似点と相違点が解説さ
れ,引き続き日下部により「蟻植物に就いて」の概要が連載されました。
93年11月には三野善弘氏夫妻は新婚旅行を兼ねてインド洋の孤島セイシェル島にNepenthes pervilleiの自生状況を調査に赴かれ,その詳細を会誌上に報告されました。
1994年の新年会では93年の根津記念貰として越川幸雄氏が〈多年に亘る栽培普及への与力と展示会に於ける貢献に対して)受賞され、翌年
には石津江氏が(永年に亘る会への貢献と地域に於ける展示普及活動に対して) 94年度の研究会昔を贈られております。
94年11月には小宮会長により〈食虫植物その不思議を探る(B5版106頁) )が自費出版され、会として45周年記念事業としてその販売を引き
受けました。この年越川幸雄氏は房総半島の突端近き千葉県安房郡丸山町に4000坪の土地を取得、 2000年の開園を目指し(南総食虫植物園)
設置の計画を発表,着々実行に移られました。それは10万株のSarraceniaの地植えを含む壮大なもので,完成の暁には名所の一つと成りましょ
う。
94年10月会話のカラー写真特集号(B5版8頁)を年2回(送共2500円)発行する事が決定、早速実行に移されました。 この頃ワープロとコピー技術の発達に伴い,若手会員の中に個人誌の発行を試みる者が現われ,支部的存在として活躍する様になりました。
千葉の田辺直樹氏は南総食虫植物園の越川幸雄氏と提携し《食虫植物情報誌》を95年7月より年4回発行、更に年数回の会合を持ち種苗交換・情報公開を図って居られます。
93年末から94年の正月休みに掛けて柴田千晶氏は皆の憧れのギアナ高地目指し成田を飛び立ち,マイアミ経由ベネゼエラ・カラカス到着,
ドイツ人ガイドの案内により水路並びに陸路でロライマ山麓に到着,徒歩で山頂(2810メートル)目指して難路を踏破、固有種Hehiamphora nutanssの外Brocchinia, Catopsis, Utnriculanria,Drosera, Genlisea等の自生を観察・撮影されました。柴田氏はまた94年末から95年初めに掛けてオリノコ河奥地を目指し,マラフワカ,ワチヤマカリ・テプイ等にヘリコプターを利用して登頂、 Heliamphora tatel, Utricularia humboldtiiその他の珍種を発見、更に各地を調査されました.尚尾坂啓ー氏は94年9月下旬,オーストラリア西部並びに南部の調査に赴かれております。
1995年1月17日には阪神大震災発生、甚大な損害を被りましたが,幸い当会員の人的被害は有りませんでした。同年6月当研究会会員7名により
第ー次サハリン食虫植物調査が,ヘリコプターを使用して空から行なわれました。然し悪天候に災いされ,カラフトムシトリスミレ(P.villosa)のみの発見に留まりました。そして97年6月の(第二次調査)に於ては,川島山近くにマルパムシトリスミレ(P.variegata)
の大群落を発見した外,あまたの珍種植物の採集に成功しました。
1996年4月,当研究会編集による《花アルバム"食虫植物"(A5版170頁) )が発刊されました。各会員が夫々得意の分野を受持ち取り為めたも
のです。
96年10月小宮定志・柴田千晶の両氏は,西オーストラリア南西部の食虫植物自生地をレンタカーに拠り2500キロメートルを走破し調査され
ました。同年11月越川・田辺・宮本・井上の4氏は,濠洲各地の愛好家と連絡をとり,夫々の地に訪問して調査を行なわれました。尚越川・田
辺・外2氏は、翌97年8月にマレー半島のネペンテス調査を実施して居られます。大阪の宮本誠氏は97年8月下旬から約2ヵ月掛けてアフリカ南
部の食虫植物調査採集旅行を実施されました。現地購入のスクーターで15,000キロメートルを走破、 10月下旬多大の収穫を得て帰国されました。
97年8月には関東郵政局より埼玉県のふるさと切手として(宝蔵寺沼ムジナモ自生地》の切手(50円)が発行されました。更に97年9月には岡
村正治・三野善弘夫妻外1名により西スマトラ,ガド山のネペンテス調査が行なわれております。
かくて迎える50周年記念行事としては,会員章の発行、記念出版,会誌創刊号からのデータベースの作成,更にブラジルの食虫植物調査や
東カリマンタンにNepenthes campanulataを探す事など,盛り沢山に企画されており、夫々担当者が実現に向けて活動しております。
以上本会の50年に亘る活躍は, 1965年頃の海外渡航自由化に伴いその足跡は全世界に及び,あまたの新種の発見も行なわれました。又会員
による食虫植物自生地の保護活動も目覚ましく,ムジナモの自生地などは一度消滅したものが再生されております. (ムジナモ発見100周年記念碑)の建立も特記すべき事でしょう。南総食虫植物園の開園も期待される事です。その他会員各位の活躍に拠りどの様な発展を見せるか,
大いに期待される処です.楽しみに待つ事としましょう。
<引用>研究会誌 通巻第167号