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デポルティボ史

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ガリシア史


1902年:Jose Maria Abaloがイングランドからラ・コルーニャにフットボールが伝わる。

1904年:最初の試合がおこなわれる。この年にチームとして創立。

1906年:初代会長にLuis Cornide就任。公式記録上の創立はこの年から。

1907年:アルフォンソ13世の認可をもらいチーム名がReal Club Deportivo de La Corun~aになる。ガイテーラ競技場建設。収容人数6000人。

1928-1929:リーガ・エスパニョーラが創設。プロが公認される。デポルティボは2部からスタート。8位でシーズンを終える。

1929-1930:2部7位

1930-1931:2部9位

1931-1932:2部6位

1932-1933:2部5位

1933-1934:2部7位

1934-1935:2部7位

1935-1936:2部7位

スペイン内乱のためリーグ中断

1939-1940:2部初優勝

1940-1941:2部2位

1941-1942:初めて1部リーグに昇格。1部4位。 1部リーグでレアル・マドリー、バルセロナ、アトレチコ・マドリー、 アスレチック・ビルバオにホームで初勝利。 ガリシアダービー1勝1敗(C2-1D D4-0C)。 ファン・アクーニャがサモラ賞獲得。

1942-1943:1部9位。 ガリシアダービー2勝(C0-1D D3-1C)。 ファン・アクーニャがサモラ賞獲得。

1943-1944:1部12位。ガリシアダービー1勝1分け(C0-0D D3-2C)。 エスパニョールに7点差をつけられて大敗。

1944-1945:リアソールに移転。1部14位で2部降格。

1945-1946:2部2位。1部に再昇格を決める。

1946-1947:17節CASTELLONに8-1で勝利。しかしその後失速。 1部13位。2部に降格。

1947-1948:2部2位。1部に昇格を決める。

1948-1949:1部10位。ガリシアダービー2分け(C1-1D D3-3C)

1949-1950:1部リーグ準優勝。バレンシアにホームで初勝利。 レアル・マドリー、バルセロナ相手にホームで3点差をつけて圧勝。 ガリシアダービー1勝1分け(D1-1C C2-3D)。 ファン・アクーニャがサモラ賞獲得。

1950-1951:LLEIDAに10-1で圧勝。ホームでレアル・マドリーに 5-0で勝利。1部12位。 ガリシアダービー2勝(D4-1C C1-2D)。 ファン・アクーニャがサモラ賞獲得。

1951-1952:1部11位。ガリシアダービー1勝1敗(D3-0C C6-1D)。

1952-1953:1部14位。ガリシアダービー1勝1敗(C2-0D D3-2C)。

1953-1954:1部7位。ガリシアダービー1分1敗(C3-1D D0-0C)。 オテロがサモラ賞獲得。

1954-1955:1部7位。ガリシアダービー1勝1敗(D4-2C C2-0D)。 Pahin~oが5試合連続得点。

1955-1956:1部12位。ガリシアダービー1勝1敗(C4-1D D5-0C)。

1956-1957:1部15位。ガリシアダービー1分1敗(D0-3C C1-1D)。 2部に降格。

1957-1958:2部13位

1958-1959:2部7位

1959-1960:2部4位

1960-1961:2部3位

1961-1962:2部優勝。1部昇格を決める。

1962-1963:1部14位。2部に降格。

1963-1964:2部優勝。1部に1年で昇格。1964年にスペイン代表が欧州選手権で優勝する。

1964-1965:1部16位。2部に降格。

1965-1966:2部優勝。再度1部に1年で昇格。

1966-1967:1部16位。2部に降格。

1967-1968:2部優勝。1部に再再度1年で昇格。

1968-1969:1部10位。

1969-1970:1部14位。ガリシアダービー1分1敗(C2-2D D0-1C)。 2部に降格。

1970-1971:2部3位。1部に昇格。

1971-1972:1部14位。ガリシアダービー2敗(D0-1C C3-1D)。

1972-1973:1部17位。ガリシアダービー1勝1敗(D1-0C C1-0D)。 2部に降格。

1973-1974:2部18位。3部に降格。財政難のため長い低迷期に入る。

1974-1975:3部優勝。2部に昇格。

1975-1976:2部5位(18勝6分14敗)

1976-1977:2部11位(11勝14分13敗)

1977-1978:2部8位(13勝13分12敗)

1978-1979:2部15位(13勝9分16敗)

1979-1980:2部18位(15勝5分18敗)。2部Bに降格。

1980-1981:2部B2位(25勝6分7敗)。2部に昇格。

1981-1982:2部12位(13勝11分14敗)。1982年にはスペインでワールドカップが開かれ、リアソールが会場の一つとなる。ペルー、カメルーン、ポーランドといった代表チームがラ・コルーニャに来た。カメルーン代表にはヌコノ、ロジェ・ミラと言った有名選手が所属。

1982-1983:2部4位(19勝8分11敗)

1983-1984:2部9位(14勝11分13敗)

1984-1985:2部13位(13勝10分15敗)

1985-1986:2部6位(17勝11分10敗)

1986-1987:2部5位(19勝13分12敗)

1987-1988:2部16位(8勝15分15敗)。ホセ・ラモンがトップチームに昇格。

1988-1989:2部10位(16勝8分14敗)。現会長のレンドイロがこの年に会長になる。この後デポルティボを強化するために多額の資金を投入する。またこの年フランがトップチームに昇格。

1989-1990:2部4位(19勝6分13敗)。

1990-1991:2部2位(20勝8分10敗)。このシーズンで再び1部昇格を決める。この年にジュキッチ、ALBISTEGUIが加入。フランと共に昇格に貢献。

1991-1992:1部17位(8勝15分18敗)。入れ替え戦の後残留を決める。

1992-1993:マウロ・シルバとベベトらがデポルティボに加入。彼らの加入後多くのブラジル人がデポルティボで活躍する。リーグ戦3位(22勝10分6敗)。UEFAカップ出場権を得る。この快進撃にスーペル・デポルと呼ばれる。ベベトがピチーチ(得点王)を獲得。リアニョがサモラ賞獲得。ガリシアダービー1勝1分け(D2-0C C0-0D)。

1993-1994:ドナトがデポルティボに加入。リーグ戦は優勝のかかった試合でジュキッチがPKを失敗してバルセロナに優勝を奪われ惜しくも2位(22勝12分4敗)。この年のジュキッチはヨーロッパ最高のリベロと称されるほどの活躍をしている。リアニョがサモラ賞獲得。このシーズンは年間18失点という驚異的なディフェンスを見せる。ガリシアダービー2分け(D0-0C C0-0D)。UEFAカップ3回戦敗退。シーズン終了後のワールドカップではマウロ・シルバやベベトの活躍でブラジル代表が優勝する。

1994-1995:コパ・デル・レイ優勝。これが初タイトルとなる。リーグ戦は2位(20勝11分7敗)。ベベト16得点。カップ・ウイナーズカップ出場権を得る。ガリシアダービー1勝1敗(D1-2C C0-2D)。UEFAカップ3回戦敗退。

1995-1996:このシーズンから勝利に対する勝点が3になる。スーペル・コパ優勝。リーグ戦9位(16勝13分13敗)。ベベト25得点。Albacete戦では1試合5得点の快挙。ガリシアダービー1勝1分け(C0-0D D2-1C)。カップウィナーズカップはベスト8で敗退。

1996-1997:リバウド、ソンゴォ、ナイベトらが加入。シーズン途中にフラビオ・コンセイソン加入。リーグ戦3位(21勝14分7敗)。リバウド21得点。ソンゴォがサモラ賞獲得。ガリシアダービー2分け(C1-1D D2-2C)。UEFAカップ出場権を得る。

1997-1998:リバウドをバルセロナに放出。ヂャウミーニャが加入。リーグ戦12位(12勝13分13敗)。ガリシアダービー1分1敗(D1-1C C2-1D)。UEFAカップ1回戦敗退。

1998-1999:イルレタがデポルティボの監督に就任。リーグ戦6位(17勝12分9敗)。トゥル・フローレス14得点。UEFAカップ出場権を得る。ガリシアダービー1勝1分け(C0-0D D2-1C)。このシーズン以降外国人の多かったデポルティボが方針を転換してスペイン・ポルトガル語圏の選手(主にスペイン人)を多く集めるようになる。

1999-2000:マカーイが加入。マカーイが開幕戦でいきなりハットトリック。リーグ戦優勝(21勝6分11敗)マカーイ22得点。チャンピオンズリーグ出場権を得る。ガリシアダービー1勝1敗(D1-0C C2-1D)。UEFAカップは4回戦で敗れる。

2000-2001:シーズン前にフラビオ・コンセイソンをレアル・マドリーに放出。バレロン、トリスタンが加入。スーペル・コパ優勝。リーグ戦2位(22勝7分9敗)。トリスタン19得点、マカーイ16得点。ガリシアダービー1勝1敗(D1-0C C2-1D)。チャンピオンズリーグベスト8。

2001-2002:セルヒオが加入。マヌエル・パブロがセルタ戦で骨折。ガリシアダービー1勝1分け(D2-2C C0-2D)。リーグ戦2位(20勝8分10敗)。トリスタン21得点でピチーチを獲得。チャンピオンズリーグベスト8。コパ・デル・レイでレアル・マドリーをサンティアゴ・ベルナベウで降して優勝する

2002-2003:ルケ、アンドラーデ加入。マヌエル・パブロが復帰。スーペル・コパ優勝。モリーナが精巣癌を告白、後に復帰。ドナトが40歳になりリーガエスパニョーラ最年長出場記録、最年長得点記録を更新。マカーイが29得点でピチーチ獲得。29得点はチーム最高記録。マカーイがゴールデンブーツ獲得。リーグ戦3位(22勝6分10敗)。ガリシアダービー1勝1敗(D3-0C C3-0D)。チャンピオンズリーグ2次リーグ敗退。

2003-2004:シーズン前にマカーイをバイエルンに放出、ドナトは契約満了のため契約せず。後に引退。リーグ戦3位(21勝8分9敗)。チャンピオンズリーグではベスト4の快挙。ガリシアダービー2勝(C0-5D D3-0C)。

2004-2005:シーズン前にナイベトをトッテナムに放出。冬のマーケットでコロッチーニを獲得。マウロとフランがこのシーズンかぎりで引退。リーグ戦8位(12勝15分11敗)。インタートト杯出場権獲得。チャンピオンズリーグは1次リーグ敗退。イルレタ監督が退任する。

2005-2006:スカローニ新キャプテンに就任。しかし冬のマーケットでウェストハムにレンタル移籍。カパロスがこのシーズンから監督に就任。リーグ戦8位(15勝10分13敗)。ガリシアダービー1勝1敗(C0-3D D0-2C)。インタートト杯決勝敗退。

2006-2007:モリーナ、ロメロ、ビクトルらが契約満了のため退団。ファン・ロドリゲスら若手が大量に加入して選手の入れ替えがおこなわれる。

簡単にまとめたのでどこか間違いがあるかも・・気づいた人は連絡ください。


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