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ジャンショーグン奇行集
これらの奇行は、当病院No2であるジャンショーグン氏のノンフィクションによる、数多の奇行である。
こんな彼でも獣医師であり、現在は医学部5年目だから、日本医師界の命日は近い!?

ジャンショーグン・ドケチ編

自衛隊時代、タダで酒を飲みに行きましょうと、私の親友の媛乃(西成WAC。彼女も、当時自衛隊員)と行った先は軍国酒場。
ここで軍歌を歌って、知らないオッサンからよく奢ってもらっていた。

年間、競馬や競艇で数億稼ぐ割には、小遣い稼ぎのために武藤君etc.手下を引き連れて、新宿や池袋の繁華街のマーケットリサーチのおばちゃんに声をかけて、アンケートに協力する代わりに、謝礼の図書券を一日で¥5000集めた事がある。

アンチ虚塵の名曲:泡原の歌2003は、タイガーマスクのCDを買うのが惜しいから、新宿TSUTAYAで視聴しながら曲を書いていた。他の替え歌も多数。

最近、サラ金(ディック)の500円があたるスクラッチカードキャンペーンが新宿で行われているが、彼はそのスクラッチカードを集めて小遣い稼ぎに励んでいる。

四国に来るときは丸亀競艇の開催日を狙ってくる。理由は高知や松山にただバスが出ていることから、交通費を浮かすため 。

年間の税金対策のために、奥さんの国籍のあるフランスに帰化した。

雨上がりの時に山手線に入場券で乗り込み、電車内の傘を回収して、雨が降りそうになるとその傘を1本¥100で販売している。ちなみに、最高売り上げは1日¥73000

彼は近所のスーパー・サミットの閉店間際の割引シールを多数保有しており、閉店間際に現れて、欲しい食料品にそのシールを貼り付けて買い物をしている。

新宿西口で占い師に「これからは無駄な金を使わないように。」と言われ、占い代を払わずに逃亡した。

献血ルームに行く度に、リュックを背負っていき、献血ルーム内の菓子等を根こそぎ持って帰る。

サウナに行く度に、歯ブラシやカミソリ、タオルを根こそぎ持って帰る。

長野の松本に行くのに、電車代と特急代が惜しい彼は、八王子駅に止まっていた中央東線の貨物列車の荷台に乗り、そのまま松本まで行った命知らずぶり。

小学校の頃、コーラの1gビンが¥30で引き取られる事を知った彼は、下関市内は勿論・福岡県の小倉まで出向いてビンの収集に励み、当時の金で¥20000を儲けたのはいいが、(当時では珍しかった)ファミコン&スーパーマリオを買いに行こうと思っていてテーブルにおいていた瞬間、親父に金を盗まれ競艇場の紙屑になってしまった。
(後に親父が、ファミコンを買って弁償したそうだが、親父がマリオにハマってしまってゲームをあまりさせてもらえなかったらしい)

ジャンショーグン・自衛隊時代(1992〜1996年まで在籍)編

自衛隊の市外戦闘訓練の時、ビルにテロリストが立てこもっているという想定で訓練をした。そのとき彼はドアを開けて手榴弾を投げる所を、わざわざノックして手榴弾を入れて、中隊長以下大爆笑して訓練ができなくなった。

自衛隊のレンジャー訓練時に、イジメに近い訓練にキレた彼は、訓練指導員が寝静まってる時、彼らの装備品を谷に投げ捨てた上に、1人1人の枕元に爆竹を仕掛けてテロ攻撃。それを知ったレンジャー教官は「お前はレンジャーじゃなくって、デンジャーだ!もし、太平洋戦争中にお前がいたら日本軍は負けなかっただろうし、仮にお前が敵兵だったら絶対戦いたくない!」と感心していた。

自衛隊時代、自分の部屋に観葉植物をたくさん置き、自衛隊時代のあだ名は「葉っぱ屋」。後に、自衛隊のクラブ活動の園芸部の部長にさせられた。

ジャンショーグン・上戸彩編

上戸彩の立て看板が欲しいがために、YAHOOの本社や、メンズプラザアオキの本社等に駄々をこねて、見事にゲットした。

2004年9月、新宿紀伊国屋書店の上戸彩サイン会に出席したいがために、39度の高熱をおして出席し、再度風邪をこじらせた。

彼が上戸彩に入れ込みかけた時に、彼の妹の彩さんに「(上戸)彩チャンとかぶるから、綾乃に改名しろ!」としつこく迫っていた。
また、同じ彩のあやに対しては「同じ彩でもえらい違いだ」と常々口癖のように言っている。

2005年の初夢を聞くと、恥ずかしそうに"上戸彩に迫られる夢"だったと言い、これが原因で30歳の癖に、正月早々夢精をすると言う情けなさ。

彼の携帯嫌いは有名だが、私と翔子チャンが作った等身大上戸彩ダッチワイフ(話しかけたら、反応もする)を貰って、携帯電話に喜んで契約をした
(尚、制作費は彼の乗っているフェラーリ1台分)

新宿の地下街に、上戸彩の(花王ソフィーナブランドの化粧品の)ポスターが貼られているが、その日のうちに全て盗んだ。

ここ最近、新宿の歌舞伎町は風紀引き締めの為、持ち物検査をしているが、彼のカバンの中は当然上戸彩グッズばかり。その検査をした若い警官も上戸彩ファンだったので、警官と延々1時間上戸彩について語っているうちに、その警官の班長が「お前の上戸彩狂いは死んでも治んないのか!」と言って連れ戻された。

2005年12月8日に日テレで放送された「ザ・情報ツウ」のゲストに上戸彩が出ていて「彩チャ〜ン、可愛い!」と叫んでしまい(大学の医学部の)臨床実習中に携帯テレビを見ていた事がバレて、教授に怒られた!

常々口癖で「彩チャンが妹だったら、人生棒に振ってもいい」と言っている。

最近、急遽ジュリー(沢田研二)のCDを買いあさり、今は彼所有の城のカラオケルームに"上戸彩"の立て看板を並べるだけ並べて"ダーリング"を歌っている。
"僕には、もう貴女(上戸彩)しかいない。夜が来ても、朝が来ても、春が来ても、夏が来ても、秋が来ても、冬が来ても、僕には貴女(上戸彩)しかない。ダ〜リング!"と毎日振り付けを入れて歌っているが、それを見た彼の嫁さん(ゆかりチャン)と娘(あずさチャン&杏奈チャン)は呆れ返っている。

上戸彩が2006年2月、またショートカットに戻した途端、種付けをする時の種馬のように興奮しだした。

奥さんのゆかりチャンに"上戸彩以外で好みの女性は?"と聞かれ、ゆかりチャンは"自分"と言う回答を期待していたが、大興君が出した答えは"遠藤久美子"。ゆかりチャンはしつこく聞くが、そのたびに大興君は"真悠(岩佐真悠子)チャンだろ、仲根かすみチャンだろ、エビ(蛯原友里)ちゃんに、内田有紀"
"他にはないの?"のゆかりチャンの問いかけに"忘れていたよ、鈴木蘭々"
この瞬間、、ゆかりチャンが怒ったのは言うまでもない。

ジャンショーグン・相撲編

バカ乃花の相撲を最初に見に行った時に、砂被りの下から「バカ乃花!」と大ヤジ。バカ乃花は彼にメンチをきったが、この相撲で出島に上手投げで敗れた上に、出島に土俵上でガッツポーズをされた上に、殊勲インタビューで「座布団を投げられる相撲がとりたかった。」と言われて、横綱のメンツ丸潰れ。以後、バカ乃花は彼を見るたびに"また、アイツがいるよ"と嫌そうな表情を露骨にとり、彼の目の前で1勝34敗と言う輝かしい数字を残して、最期の取り組み・安美錦戦のみっともない送り出しで負けた相撲を看取られて、2003年1月19日に死去(引退)。 なお唯一の1勝は優勝決定戦で、武蔵丸を破った相撲で、実質彼の目の前ですべて負けた。

(郵便局時代の部下であり、現在は同じ大学の医学部にかよう)瑞穂ちゃんの温泉旅館(石川県七尾市)に行った時に、風呂に輪島大士さん(元・第54代横綱)がいて入浴写真を撮影した。その後、輪島さんに"男同士の友情写真を撮ろう"と言って、ツーショットのフルチン写真を撮影した。

2004年の安田記念の前日・ムトー氏に"安田記念はツルマルボーイと、テレグノシス!これで勝ったら(本人は負けたらと言ったつもりらしい)、バカ乃花部屋のスペシャルサポーターズクラブに入ってやる!"と豪語し、翌日の安田記念を的中。そして、公約どおりバカ乃花部屋・スペシャルサポーターズクラブに入ったのはいいが、9月の親睦ボウリングで序二段の弟子が急死し、期限が切れる5月30日には二子山親方(元大関・貴ノ花)が死去すると言う、文字通りのバカ乃花に対する死神振りを発揮。これで気をよくした?のか、2005年の安田記念を的中した後、バカ乃花部屋・スペシャルサポーターズクラブの更新をした。

バカ乃花部屋ではバカ乃花のフィギュア(1体¥8000とボッタクリな物)を売っているが、彼はそれを30体買い、機嫌の悪い時(虚塵が勝った時や、競馬に負けた時)は爆竹や自分で作った爆弾をバカ乃花のフィギュアに取り付けて、バカ乃花をバラバラにして悦に浸っている。

同じく、バカ乃花とアホ青龍の蝋人形を、知人の彫刻家に数体作らせ、日本刀の居合い抜きの的?として使っている。
ムトー氏に「お前も日頃の恨みがあるんだから、やってみろよ」と言われて日本刀を渡されたムトーは、日本刀の重さにバカ乃花の腹に軽傷を負わす事しかできなかったが、ジャンショーグンはバカ乃花の頚動脈から心臓にかけて綺麗に斬っている。
しかし、彼の娘のあずさチャン(小学2年生にして、剣道2級)は「パパ、これじゃ甘いよ」と言って、日本刀でアホ青龍の首を真っ二つに落としたが、あずさチャンの斬った跡には蝋の細胞壁が凹んだ様子が全く無く、あずさチャンは「細胞壁をへこませたら相手が痛いと思うから、痛くなく、楽に殺すの剣士の技よ。」とご満悦。

ムトー氏が所有するバカ乃花&アホ青龍ダーツを貸してくれと頼む彼。ムトー氏は渋々バカ乃花ダーツを貸したが、2週間後、返ってきた時は見るも無残なバカ乃花ダーツが帰ってきた。
「いったいどうやったら、そんなにボロボロになるんだ?」と聞いたムトー氏に対し、彼は「毎日出刃包丁で怨念込めて刺してたからな」

ベースボールマガジン社から"日本大相撲80年の80人"の表紙に写っているバカ乃花&アホ青龍の顔面をデコピンで毎日300回叩くのが彼のノルマ。その甲斐?あって、バカ乃花&アホ青龍の顔は穴が開いてしまった。

ジャンショーグン・反米編

六本木でアメリカ人に、アメリカが嫌いな理由を聞かれて「アメリカと言う国は、自分の国ではタバコを吸うなと言っておきながら、日本や韓国にジャンジャン輸出して、遠まわしに東アジアは死ねと言ってるようなもんじゃ!あんな国、誰が支持するか!」とコメントした

同じく六本木で「アメリカは質より量を重んじるから、巨乳という汚いものが日本に入ってきやがった」とコメント。

母国・フランスの料理雑誌で、「アメリカは味覚音痴だから、ジャンクフードを作ったんだ。ついで言えばアメリカの、農作物や畜産物が安全性に欠けるのは、食えれば良いと言うアメリカンスタイルの悪しき風習が流れている」

アメリカがイラクに侵攻した時に彼は、友人の在日イラク人6人とビンラディンのコスプレをして、またもアメリカ大使館前に現れ、7人で「石油が欲しくって戦争を起こした、アホで糞のアメ公よ!これでも食らえ!」と英語で怒鳴りつけて、警官の前で星条旗を燃やした。

"宗教で幸せになれるのなら、苦労しないよ"と言うのが彼の口癖で、無宗教論者かと思いきや"反米を明確化しているので、俺はイスラム教徒だ"と公言。
(なお、イスラム教徒である事を理由に、個人的な一夫多妻制を敷いている)

ジャンショーグン・VS警察編

ジャンショーグンが交番で警官に"指名手配中の犯人名"を聞き、対応した警察官は「最寄り駅とか、ご自宅とかわかりますか?」と聞き、彼は「ダメだなぁ、指名手配中の犯人の名前も知らないようじゃぁ、職務怠慢だよ」と一喝する。
言われた警官は、ただ赤面するばかりだった。

(彼の義弟)ナショナルと一緒に缶ビールを飲んで歩いているとき、パトカーに乗った警官に「空き缶を投げ捨てないようにね。」と言われ、彼とナショナルは空き缶をパトカーの後部に結婚式のように縛り付けて、警察に恥をかかせた。

自衛隊時代に、警察の機動隊が自衛隊のレンジャー部隊に訓練に来て、助教を任された彼は私情を込めて機動隊員をイジめまくり、機動隊員が泣きながら「俺、警察辞めるぅ・・・。」と言ってる現場を目撃し、自衛隊の後輩たちを連れて機動隊員の前で酒盛りして「これで警察?情けないねぇ!」と聞こえよがしに嫌味を言い放った。

日本刀の模造刀持って渋谷を歩いていたら、警察に事情聴取される。しかし警官は「和服で日本刀挿していたら撮影かもしれないけど、スーツに日本刀は不味いだろう。せめて、和服は無かったの?」っておかしな事を言い、20分で事情聴取終了。

ジャンショーグン・死神編

1994年・F1サンマリノグランプリを見にイタリアのイモラに行ったのはいいが、目の前でアイルトン・セナ・ダ・シルバが事故死。
(当時彼はセナの大ファンであったが、この一件を期に死神呼ばわりをされる。)

2005年2月20日、IWGPチャンピオン・天山広吉の応援(IWGP&三冠(PWF・UN・インターナショナル)ヘビー級タイトルマッチ)に両国国技館に行ったが、残り時間11秒で小島聡にKO負け。

2002〜2003年のVS虚塵戦で、高津がリリーフに失敗したとき、ほとんど彼が生観戦。以後、神宮球場の応援団に「娘を連れて来ないから負けたんだ!」と言われ始める。
(ちなみに彼の娘である杏紗ちゃんは「神宮の女神」といわれるほど観戦した時のヤクルトの勝率が抜群にいいことで知られている。)

2005年8月24日の横浜スタジアムでの横浜vs虚塵戦を友人の武藤君と観戦。結果は、小久保の三打席連続ホームランを見る破目になり、横浜は完封負け。
そして武藤君に"お前と来ると、いつも負けるんだ!"と八つ当たりをされた。

彼がヤクルトにFAして翌年、神宮の"名物応援団長の岡田正義さん"が亡くなった。

彼が、私と武藤君と彩チャンと冬山スキーに行った時、いつも吹雪に遭遇してしまう。

ジャンショーグン・競馬&競艇&ギャンブル編

私の知人の馬主・金子真人さんのユートピアが2005年のフェブラリーステークスに出走するため、私と共に馬主席にやってきた彼。
「アドマイヤドンはどうなの?」の私の問いに、アドマイヤドンの近藤オーナーの前で堂々と「いつもはドンを買うけど、今日は買わない!なぜなら2月20日は忌まわしきシゲヲの誕生日であり、ドンの番号が3番だから尚更だ!これで、ドンが勝ったら坊主になってやる!」と暴言。
レースは、ドンが出遅れたのは承知の事実だが、出遅れたときに「やったー!シゲヲが死んだ!」とバカ騒ぎをしていた。

競馬の講師として、府中(東京競馬場)に来た彼は"馬券で勝つのは温厚である事。短気だと、頭に血が上って混乱して負けてしまいます。これは、どのギャンブルでも一緒"と力説していた彼だが、スタートの時(この時のレースはオークス)にバカ騒ぎしていたカップルのおかげで、馬がイレ込み出遅れて"貴様、競馬場で騒ぎやがって!馬は繊細なんだから、貴様のようなバカが騒いだおかげで、馬が出遅れて馬券が外れたんだ!"と言って、女の前で男を殴る蹴るわの大暴行。警備員が来そうになると、さっさと目の前の"多摩川競艇場"に逃亡した。

2005年のジャパンカップに、ゼンノロブロイの大迫オーナーから招待を受けておきながら、競艇の女子リーグに海野ゆかりが出ている事で、武藤君に代行出席させ、ジャパンカップと競艇の当たった金を平和島に(武藤君に)持ってこさせた。 そして、彼は海野ゆかりの乗っているタクシーにエンジニアブーツを履いたまま走って追いつき、サインを貰った。そして、海野ゆかりに"奥様と同じ名前で、髪型と顔まで似てるなんて、今日の勝利を私に奥様分の愛をくれたんですね。これからも応援してください"と言われてイカレポンチ状態に。なお、彼はこの週末ジャパンカップダート・ジャパンカップ・競艇チャレンジカップ・競艇女子リーグの4レースで¥640億儲けたくせに、私たちには¥500万しかくれなかった。

2006年フェブラリーステークスのとき、カネヒキリの金子オーナーの前で忍者装束を着て現れた大興君。金子オーナーと懇意ある私は大恥かいて「3月分の給料5%カット」と大激怒した。

1995年京都競馬場で行なわれた宝塚記念に行った時にライスシャワー、1998年の府中での天皇賞・秋ではサイレンススズカ、1999年のドバイワールドカップではホクトベガをも殺している
(どっちのレースも、しっかり馬券は当てているのがこの男の悪の本性)

私と彼が"とある国のカジノ"に行った時、彼はルーレットでストローを使って玉を動かすイカサマを2回やり、怒ったディーラーが「とにかく、ストローを捨てないと参加は認めない!」とぶち切れ。今度は私が「頭きちゃったから、全部8に賭けちゃおう」とルーレットが回る前にありったけのコインを投資し、氷を噛み砕いた私は氷を玉に飛ばして、ルーレットの8に入れる暴挙。
ぶちきれるディーラーに、「私が氷を吹き飛ばしったって言うの?じゃぁ、証拠を見せなさいよ?その氷はどこにあるの?」と因縁をつけ、結局彼と私はイカサマカジノで1万円を1億にして帰って行った。

パチンコ屋(渋谷のガイア)行った時にCRぱちんこ・冬のソナタやってて確変引いて、あのピアノ曲が流れて、パチンコ台に向かって涙流して以来、冬のソナタにハマっている。

ジャンショーグン・麻雀編

2005年に日本麻雀プロ協会認定のプロテストに合格し、ハンドルネームを黒船から雀将軍(ジャンショーグン)と改名。

彼は、私や媛乃(西成WAC)を相手にすると滅法強いが、部下である上田(沙菜絵)技師(さな)・駒井(麻紀)技師(こまち)・中本(潤)技師(すいーとバジル)には滅法弱い。なぜそんなに弱いのかと聞くと「沙菜絵や麻紀みたいなアニメ声の奴に、目の前でリーチなんて言われたら振り込んでしまうのが健全な男だろ」と訳の分からん言い訳

彼のデビュー作・対戦ホットギミックデジタルサーフィンでは、ジャンショーグンとして登場するが、この時のおしおきの"辱め固め"のシーンで(モザイクはかかっているものの)イチモツを披露している。

栗原技研農業の麻雀ルームの"麻雀自動卓"は彼が買ったもの。
理由は私が"積み込み"のイカサマをくりかえし、"え〜ぃ、虚塵みたいなイカサマばかりしやがって!競馬で勝ったし、俺が自動卓買ってやるから、フェアに勝負しろ"
彼はまんまと私の策略に引っかかり、麻雀卓を買うハメに。

ある日、オンラインゲームの麻雀格闘倶楽部で静岡県勢に1勝10敗と大敗したジャンショーグンは、腹いせとしてムトー氏に怒りの臭い爆弾を3発投げつけるという暴挙を犯す。

彼が海外にいる時、山崎君(火の国のアンチ虚塵)と麻紀チャン(こまち)とムトー氏と一緒にインターネットのオンラインで麻雀をするが、今年の3月初旬にバーレーンに行った時には山崎君に国士無双を振り込み、ドバイでは麻紀チャンに緑一色(リューイーソー)を振り込んで負けている。どういう訳か中東諸国に行くと、彼はよく役萬を振り込む事から、麻紀チャンが「石油の国だけあって、お兄ちゃんもよく燃えるね。まるで虚塵の投手みたい。」とコケにされている。

ジャンショーグン・プロレス編

ブルース・ブラザーズの格好でプロレスを見に行ったが、客からはKYワカマツに間違われた。翌日、友人のムトー&ナショナル&あやの3人をマシン軍団にして、自身はKYワカマツのコスプレをしてプロレス観戦をする。

彼のおかしなジンクスとして、浅草にあるデンジャー松永のステーキ屋でステーキを食べながら、ホイットニー・ヒューストンの曲が流れた翌日にレスラーが死ぬと言う事が3度あった。この時亡くなったレスラーはジャンボ鶴田さん、冬木弘道さん、橋本真也さん。

ジャンボ鶴田さんが亡くなってしばらくして、サッカーの中田英寿に県民栄誉賞が与えられて、ジャンボ鶴田さんに与えられていないのは不服だとして、特急・スーパーあずさで甲府に乗り込み 天野建(前)山梨県知事に対して、抗議をしに行った。

冬木弘道氏が亡くなって、彼の告別式に行った際・出棺のとき泣きながら"ボス、ありがとう!"と絶叫。なお、この事を"マミー、そばにいて"(冬木氏の奥様の著書)に書かれている。

彩チャンの贈ったマシン軍団のマスクをかぶって新宿を歩いていて警官に強盗と間違われた。(当然、無罪釈放になったけど)

ジャンショーグン・海外編

2004年のF1オーストラリアGP観戦時、地元の銀行強盗犯に間違えられて、警察に逮捕される。しかし人間違いで釈放後、犯人のソックリさんとして地元テレビに出演し、そのままメルボルンの人気者となる。

2000年イランに行った時に、(顔が)ハタミ大統領に似ている事からテヘランの警察に「大統領、勝手に一人で出歩かないでください」と言われた。ちなみに本物のハタミ大統領も宮殿を抜け出して散歩をするのが大好きなようだ。

ジャンショーグン・野球編

休みの床屋を無理やり明けさせて、アイパーにしたのはいいが、娘の杏紗ちゃんに"江豚みたい"と言われて落ち込んだ。

彼がダイエー(現・便器)ファンだったころ、ムトー君に高木ブー・ムトー君のお兄さんに、いかりや長介の雷様のコスプレをさせ、彼は仲本工事の雷様のコスプレで、西武球場(現・インボイス所沢ドーム)の外野席から「頼むから、辞めてくれ!サダハル」と垂れ幕を流してギター演奏している所を、95年に放送された某テレビ局の珍プレー番組に放送された。

1996年5月8日に大阪に遊びに行って、日生球場で"生卵事件"に遭遇し、"お前ら、プロか?"と言うプラカードを持っている所を写真週刊誌に写され、在籍していた自衛隊から始末書を書かされる。

2001年7月11日、今度は頭狂ドームでヤクルトの応援席から虚塵にリベンジを果たした入来智投手のヒーローインタビュー時に、"入来、こいつらは絶対に許すな!"と言うプラカードを持っている所が写された。

同じく頭狂ドームで2003年、虚塵の不良債権・ブタジーニと言うプラカードを持っている所が写された。

ムトー君と一緒に新宿を歩いていた時、テレビカメラが彼を写し、街頭インタビューで「あなたが今興味ある事は何ですか?」と言う質問に彼は「虚塵の負け試合」と答えた。なお、このテレビ局は日テレだった。

彼がヤクルトファンになったのは入来智がヤクルトに入団する際に"僕は虚塵に復讐する為だけに、ヤクルトに来た"と言った言葉に、娘のあずさチャン(ヤクルトファン)に"もし入来がホントに虚塵に復讐したら、パパはベイスターズからヤクルトにFAするよ"と言って、奇しくも彼の結婚記念日に入来の復讐は達成。これを機に横浜ベイスターズからヤクルトスワローズのファンになった。

ジャンショーグン・ゴルフ編

彼と、友人であるムトー、ナショナル、汚野、雁乃助、和製ジェームズ・ボンドの6人でゴルフに行き、あるホールで彼がティーショットでラフにボールを打ち込んだ。そのボールをようやく見つけたのはいいが、野猿に盗まれてホールの池に捨てられた。このホール(パー4)は彼は14打の大叩き。
しかし次のホールからは、レスリー・ニールセン直伝のイカサマゴルフ(後述参照)を駆使して強引に優勝。怒ったボンドが「そこまでして勝ちたいか(怒)!?」と言えば、彼は「ゴルフで勝つ極意は自分のスコアを良くする事よりも、相手のスコアを悪くすることにある!」と居直る!皆呆れたのは言うまでもない。

彼と志村のオジサマ(ボンド)とムトーがゴルフに行った時、彼のティーショットは右の深い森の中に。志村のオジサマは、彼のボールを見つけてOBゾーンに捨てたが、彼も負けてはいない。グリーンめがけてボールを投げて、カップ横5mの所にボールを付ける暴挙を成し遂げた。

ジャンショーグン・和装編

毎年4月12日になると、彼自身は武田信玄・息子(晴信君)に高坂弾正忠昌信・武藤君に山県昌景・バルテス島本氏に内藤昌豊の甲冑を付けさせた上で、日本刀の模造刀を持ち込み、中央線の新宿発の特急・スーパーあずさ1号に乗って甲府の武田神社に信玄の命日の参拝に行く。
当然の事ながら、江東区の家から甲冑を着けてくるのだが、人が何を言おうと全く気にしないのがこの男らしい。
時には、エセ信玄として、サインをする事も多数あり。

最近、中本潤技師(すいーとバジル)が日本刀贈ったもんだから、和装に凝ってしまっている。
出没エリアの新宿や渋谷に"紋付袴の上に、日本刀(模造刀)。足は雪駄"で登場するとの事。
更に最近競馬で勝った金で火縄銃とか、忍者装束とか、手裏剣に、鎖帷子。後は鬼平犯科帳の火盗改方兜まで買った上で、その格好で毎日大学・職場に行っている。
彼の嫁のゆかりチャンと、居候の瑞穂チャンが相当呆れ果ててた。

2006年2月現在、なんと"俺はチョンマゲをマジで結う"と大真面目に言っている。
現在の髪の長さは"ときメモの虹野沙希"位まで伸ばした。

2003年、江東区に新築の家を建てたが、外観はなんと江戸時代の城郭そのもの。
天守閣に展望風呂を備えた上に、地下室もあり、地下室はカラオケルームになっている。
また、"忍者屋敷"並みのトラップを家のあちこちに仕掛けている。

最近、彼は息子の晴信君と忍者教室に通いだした。栗原技研農業・目黒分院の「甲賀流忍術師範」の赤チン(浅井主事)が親切丁寧に指導している。

彼の城の中には、どんでん返し・床の間の秘密の抜け穴・落とし穴・やたらと段差の違う廊下等、徹底的に"忍者屋敷"風に施工されている。尚、城の中には日本庭園と堀迄あり、堀の中で錦鯉を数十匹飼っている。

武藤君と妹婿の松下君は、毎週彼に忍者訓練やらされている。小田原城の石垣を登る訓練などを施し、武藤君は印旛沼で水遁(すいとん)の訓練をやらされた上に、シュノーケル代わりの竹を落として溺死しかけるし、松下君は木から落ちる上に、火遁の術で調合した爆薬が変な爆発して気絶をする失態。
彼と息子の晴信君は大マジでやってるが、武藤君と松下君は戦死寸前である。
"彼は、伊賀流でも甲賀流でもない。ジャンショーグン流忍術を作る"と大マジメ

平河町にある京都府の東京事務所に私の命で行った時、ナント和装に帯刀。
おまけにチョンマゲのヅラまでかぶって登場する始末。
後に、私宛の電話に"前野さん、太秦の撮影所に転職するん?"と応対した職員が電話をしてきた。

ある日の忍者訓練で"凄い爆弾"を開発した彼。密閉された室内で爆発させると、その爆弾からは卵の腐った臭いに納豆の臭い、養豚場の臭いに下水の臭い、とどめが自らの足の裏の臭いの爆弾で、爆発させた瞬間「素晴らしい兵器だろ!」とご満悦。ちなみに、この爆弾を作ったのは檜原の中小家畜課長である、有機化学の達人・ユージ(別名・プリティ小川)である。

ジャンショーグン・家族編

(実妹であるまりあドクターからのエピソード)
彼が中学のときに、彼の親父に「ファミスタやろう」と誘われたが、「俺は受験勉強をする」と言って部屋に引きこもってエロ本を見ていた。
その模様を見た親父は「こんな青いエロ本で満足するな!父さんのエロ本を10冊やるから、これで勉強しろ!」と言ってエロ本を手渡した。なお、このエロ本はノーカットものだった。

同じく彼が、童貞を捨てて地元・博多に帰ってきて、中学の柔道部時代の友人たちに自慢話をしているうちに、ある友人が「明日ストリップに行って、女体観測にいこう」と言い出して、ストリップに行った。そして、ストリップ劇場でやたらとうるさい男がいたが、その男は彼の親父。親父は「こんな所に来るなんて、さすが父さんの子だ」と泣いて喜んでいた。
しかし彼の妹である、まりあは"ストリップの意味"が知らずに、彼を追いかけてストリップ劇場に行って、その内容にショックを受けたらしい。ちなみに彼女は、ストリップに夢中になっている彼に「まりあよりも、この女の人のほうがいいの?」と半泣きで言ったが、彼は「まりあみたいなガキに比べて、やっぱ大人の女はいいよ」といって、マジ泣きした彼女に左ストレートを食らって、哀れKOされた。

彼の死神ぶりも凄いが、彼の親父は1988年にダイエー(現・便器)が福岡に来てから、時間がある限りダイエーの試合を見に行ったが、初めて勝ったのは11年後の1999年。その勝利に、親父さんの友人のダイエーファンが「なんか、猛烈に悪い予感がするのぅ」と言ったら、アヒル工藤に逃亡された。翌年も親父が観戦して勝った試合に「なんか企んでないか?」と言われて、ペナントレース終了後、藤井将雄投手が不幸にもガンの為、死んでしまうという息子以上の死神振りを発揮している 。

彼の親父が浮気をした時、彼の母親(脳外科医で、私の妹・深雪の指導医でもあります)にメスを8本投げられた。そして喉元にメスを突き立てて「あたしに対していい度胸じゃないの?」と優しい声で言われて、恐怖のあまりに糞をもらした。以後、彼の親父は女遊びはするが、浮気はしなくなった。

彼の親父とジィさんが、山で土木工事をやってる時に自分の家の方向から煙が上がっていて、ジィさんが「いやぁ、景気よく燃えてるなぁ。」親父が「まるで、花火のような燃え方だなぁ」と呑気にメシを喰いながら山の上から火事場見物をしていた。しかし仕事が終わって家に帰ると、火事にあったのは、なんと自分の家だった。原因は漏電だったが、ジィさんは「色気づいてドライヤーを使っていた親父のドライヤーが原因」と保険会社に書類を提出。この事に彼の親父は、35年経った今でも"あの火事は俺のせいじゃねぇ!"と怒っている。

彼のジィさんが戦争に行った時、部隊突撃の時に酔っぱらって放って行かれた。その後にアメリカ兵がジィさんの元にやってきた時、ジィさんは「天皇のために死ぬのが、日本兵の美学。」という当時の常識を捨てて自ら捕虜になった。そして、アメリカの捕虜収容所で英語や洋食を味わううちに収容所が気に入って終戦後も4年間アメリカ軍にいたが、朝鮮動乱が勃発して泣く泣くアメリカと別れた。
その時、彼のバァさん(故人)は"部隊玉砕"の報を聞き、すでにジィさんの葬式を済ませていたが、1950年5月に帰国した際に「ジィさんの偽者」と思って、ジィさんは下関署の黒パト(当時、重要犯罪者を専用で運ぶパトカー)で連行され、16日間留置所に入れられた。

ある日、博多の実家に電話をしたら電話口にジィさんが出てきて、ジィさんと話している内に、彼の親父が「ジィさん、菜々ちゃん(松嶋菜々子)がテレビに出てるぞ!」という一言で、「悪いな、菜々ちゃんの方が孫より大事なんじゃ!」と言って電話を切ってしまった。

彼のジィさん(柔道5段)が、ゆかりチャン(今の奥さん)と再婚するために、ゆかりチャンを紹介しようとして博多の実家に帰ってきた彼と6年ぶりの再会を果たし、ジィさんは黒船を持ち上げ「おぉ、大きくなったのぅ。でも、大きくなっても男の孫はつまらん!」と言って柔道の払い腰を決めて投げ捨てた。
怒った彼は「じゃぁ、どう言う孫がいいんだよ!」と怒ったが、ジィさんは「決まってるだろ!藤原紀香のような、ムチムチプリンの女の孫じゃ!じゃが、まりあはスタイルがいいが気性が荒いし、彩と瞳は気性はいいが胸がないし、お前の今度の嫁を抱かせてくれ!」と真顔で迫った。それを言われた黒船は呆れるばかりだった。

彼の2度目の結婚式の時、ゆかりチャンがお色直しをしている時に、彼女の更衣室を覗き見していた彼の親父とジィさんと、ゆかりチャンの親父が"下着の色当て"の賭けをしていた。しかし、ゆかりチャンのエスコート役をしていた侍女(後のムトー君の嫁・彩絵チャン)に見つかり、3人は正座をさせられて説教された。

彼の親父とジィさんの日課は、黒船の末妹の瞳チャンの着替えを覗いて、下着の色を当てる賭け。これに対し、瞳チャンは毎日のように黒船に対して「また、パパとおジィちゃんに瞳の着替えを覗かれた!」と泣きながら電話をしている。

彼が中学の頃、彼の親父は、彼に「今日はナンパしに行こうぜ」とよく誘った。今でも黒船が博多に帰るたびに「ナンパしに行こうぜ」と誘う。

彼のジィさんが4年前に東京に来たとき、彼と友人のムトー君に「東京見物として六本木のクラブ(ディスコ)と、キャバクラに行きたい!」と老人らしからぬ注文。クラブで、キャバクラでジィさんは若いおねぇチャンに大モテで、ムトーが「なんで、ジィちゃん。そんなにモテるんだよ?」と聞いたら「わしは戦前は、モボ(モダンボーイの略)で博多中をイワしとったんじゃ!今でも、若いモンに情報も流行も負けんぞ!」と言ってた。
後にキャバクラで、ジィさんが喋る最新の流行情報に、流行を全く気にしない黒船は、キャバクラのおねぇチャンに「おジィちゃんのほうが27歳って感じで、あなたの方が81歳みたいね。」と言われた。

彼のジィさんが83歳の時に、彼の母親が勤務する病院に人間ドックのため1週間入院した。結果は、肉体年齢28歳。精神年齢24歳と言う驚異的な数字。この結果のジィさんは「当然だろ。今でも週2回はソープで3発は決めてるんじゃ!昔は朝まで女を寝かせなかったもんじゃが、さすがにワシも年だから3発が限度じゃな。」と高笑い。

彼がゆかりチャンを実家に連れて行ったとき、ジィさんは「いい嫁じゃなぁ、てな訳でワシがもらった!」と言ってゆかりチャンを米俵のようにかつぎ、実家(5F立てビル)の屋上でターザンのように吼え、褌一丁に。抱えられたゆかりチャンが「おジィちゃん、やめてください!」と泣きながら言うと、ジィさんは「おジィちゃんなんか呼ぶんじゃない!茂吉郎と呼んでくれなきゃヤダ!」とダダをこねた。
これを聴いた彼の親父が「何が茂吉郎じゃ!このエロジジィ」とジィさんの後頭部にヤクザキックを食らわせ、ジィさんが「実の父に何をするんじゃ!」と親父を殴り、彼が「どこに孫の嫁とエッチしようとするジジィがいるんだよ!」とマジギレ。そして、親父が「そうだ!俺だって、ゆかりチャンと敦子チャン(今、瑠海君の嫁さん。中学の頃の黒船の彼女)と、エッチしたいけど、息子のために我慢してるんだぞ!」とほざく。これを聞いたジィさんと彼と親父が親子3人で殴る蹴るの大ゲンカ。
これを見ていたまりあチャンは「こんな人たちが、おじいちゃんでパパで、お兄ちゃんとは思いたくない」と言って、その日を境に性格のキツい女となり、ゆかりチャンに「よく、お兄ちゃんに嫁ぐ気になれるね?」と暴言を吐くが、これにゆかりチャンは「元気で、健康的で素敵です。」と上手くかわされて、その日まりあチャンはヤケ酒をあおったそうだ。

中3のとき、柔道部の3バカトリオ(あきら・みつはる・たかふみ)と三日三晩酒を飲み、1989年1月5日に家に帰ってきて、そのまま熟睡。目が覚めて彼が新聞を見たら、「なんだ、この新聞。平成って書いてるぞ。」
これを聞いた彼の親父が「お前が寝てる間に、昭和が終わったんだよ。寝ててよかったな。ずっと天皇の特番ばかりだったからな」と妙な慰めをする。

小学4年生のときの国語の漢字の読みがなを答えるテストに黒船は、鼻血(江川)・美人(キョンキョン)・悪漢(うちの親父)と書いた。これを見た親父は「悪漢は、汚の膿(北の湖)か長嶋茂雄だろ!」とマジギレ。

同じく小学4年のころBOOWYがデビューし、彼の親父は、彼に無理やりギターを習わせた。当時は、凄く嫌がっていたが、今では新宿のホコ天で虚塵替え歌を歌って小遣い稼ぎをしている。

彼の父親と東尾修(当時:西武)は仲がいいが、東尾の麻雀賭博摘発現場で一緒にタクを囲んでおり、東尾と警察に連行された。
東尾と警察のクサい飯を食うハメになった二人は仲良く留置所でメシを食い、東尾に"一緒に警察に連行されて、留置所まで入ってくれて、お前は本当に俺の親友だよな"と認められた。

彼が博多の実家に帰省した際、ゴキブリが現れて歯ブラシで殺したが、この歯ブラシは彼の親父の歯ブラシだったので洗わずにそのままにしておいた。
それを知らずに歯を磨いていた親父を見た彼と(妹の)瞳チャンは、死ぬほど笑い転げた。

彼の父親は、初代タイガーマスク(佐山聡)の先輩だが、初代タイガーは未だにジャンショーグンの親父に頭が上がらない。なお、初代タイガーがプレスリー狂なのは、この親父のせい。
(天国のプレスリーもお嘆きの事だろう。)

1973年の有馬記念にハイセイコーが断然人気の中「ストロングエイトと、ニットウチドリじゃ!」と言って、自宅や不動産・当時運営していた土建屋等を抵当権にいれ銀行から当時5億円の金を借りストロングエイトの8枠と、ニットウチドリの2枠の2−8(当時は枠番連勝しかなかった。)に5億ぶち込み当てたのはいいが、ジジィは「何を考えてやがる、国営競馬!ゼッケン通りに馬を当てる馬券があったら、ワシはもっと大金持ちだったはずだ!」と激怒して、パトカーの警備付きで小倉競馬場から自宅へ帰ってきた。
(鉄板同然のレースに5億も果敢につぎ込む爺さんも爺さんだ!)

1973年10月22日、甲子園球場で行なわれた阪神vs虚塵戦。両チーム共に最終戦で阪神が引き分け以上なら優勝という一番で、虚塵が0−9というワンサイドのイカサマ勝ちをして、それに怒り暴徒と化した阪神ファンの中に、私の親父(勿論、阪神ファン)と彼の親父(大洋ファン)も加わり、私の親父が生卵サダハルの下半身を抑え「兄ちゃん、一発くらっしゃげんね(九州:玄海灘地方で殴れと言う意味)」と言って、彼の親父は生卵サダハルをメリケンサックで2発殴り、余生をかって高田繁にも一発パンチを見舞い、私の親父も生卵サダハルを下駄で殴った。そして柴田勲にも3発殴る大暴挙。 この事件で、多くの阪神ファンが建造物不法侵入財ならびに傷害罪で現行犯逮捕され、2人も仲良く逮捕される。
その25年後、佐賀県職員から東京都職員になって2年目の私の元に"日本獣医畜産大学・獣医学科"のベッカムヘアにメガネをかけて、マッチョな少年(これが、後のジャンショーグン)が"家畜解剖学の勉強"と称して、私が勤務していた芝浦と場にやってくる。 2人が食事をしながら、野球の話をしている内に「俺もアンチ虚塵ですけど、親父にはかないませんよ!なんせ生卵野郎にメリケンサックで1発殴り、柴田勲を3発殴ったんですから」の言葉に、私は箸が止まり、目が点になり「まさか、その人。リーゼントしてなかった?」の問いかけに「親父、当時プレスリーのファンでね。リーゼントしてたよ。確か、佐賀から来た漁師のオッサンと一緒に豚箱に入った」と言っていた。 奇しくも、これが後に栗原技研農業のNo.2になる彼と、私との運命的な出会いで、まさかあの大暴動の時に逮捕された人間の"娘と息子が獣医"になって、後に起業するとは思ってもいなかっただろう。

彼の妹・まりあチャンの話では、彼のジュリー狂いは幼稚園の頃からだった。幼稚園の頃、歌の発表の時に"勝手にしやがれ"を振り付けで歌ったと言う。
この時、彼の父親は「さすが、ワシの息子じゃ。」喜んでたんだから、イカレた一家です。

大興君の嫡男である晴信君。ある日、武藤君と一緒にパスタ食べに行って、可愛いおねぇさんのウェイトレスに
「へい、ハニー。俺のハートは、このミートソースのトマトのように真っ赤に燃えてるぜ。愛を俺にくれないか?」とかます。

「パパ、恥ずかしいってどういう事」と聞いた晴信君。父親である大興君は「ママみたいに、胸が無いのにブラジャーにパッドを入れるようなマネとかだなぁ」 この瞬間、2人はゆかりチャンに殴られた。

晴信君が、武藤君とゆかりチャンとスパゲティ屋に行った時の話。
武藤君「腹いっぱいか?」
晴信君「うん、ママの胸とは大違いだよ」
それを聞いたゆかりチャンは、なぜか武藤君と晴信君にゲンコツ

2006年2月24日に、彼の妹・まりあチャンが女の子を産んだ時に、彼の父が『やっぱり、孫は女の子に限る。あずさも杏奈も早く大きくなって、宮里藍ちゃんや仲根かすみちゃんみたいなナイスバディになってくれ』と、あずさちゃんと杏奈ちゃんに言ってた。

2006年2月27日の江東区の某小学校にて大興君の長女のあずさチャン、学校内でのイジメを止めに入った時に(あずさチャンを殴ってきた相手に)カウンターでパンチ喰らわせて、殴られた相手が脳震盪起した上に、奥歯が折れて小便漏らした。
これを聞いた親父である大興君は「それにしても、これで将来は(女子ボクシングの)世界チャンプは確定だな」と喜んでいた。

ジャンショーグンは巨乳は嫌いと言ってる割には、仲根かすみと乙葉だけは好み。特に乙葉に関しては「初恋の彼女ソックリ」なので上戸彩並に狂っている

その仲根かすみだが、彼の親父も大ファンで、便器の和田毅と結婚した時に「親父がかすみチャンのファンだから、便器(ソフトバンク)の嫁になったんだ」と彼が言えば、「父さんの目に付けた女に、息子が色気づくな!」怒った親父は、正月に彼が博多の実家に帰った際に、それが原因で正月早々風呂で大ゲンカ。これを見ていた彼の母親と、妹の瞳チャンは2人して「現代医学を持ってしても、この二人のバカは治しようが無い」と呆れていた。

ちなみに、便器の和田毅の事を彼の親父はガタルカナル・タカと言っている。

彼の親父は倖田來未に対し「シラフで5発抜けるよ」と語っている。ちなみに、この親父は「山口智子&仲根かすみでも5発抜ける」と常々語っている。

前野一族の女の好みは、親父が斉藤由貴→ソフィ・マルソー→山口智子→飯島直子→ケイン・ウィンスレット(タイタニックのローズ)→松下由樹→仲根かすみ→倖田來未と巨乳系。
一方のジィさんの好みは、吉永小百合→山口百恵→沢口靖子→田中美佐子→松島菜々子→仲間由紀恵と長髪の清楚系。
ちなみに彼は、内田有紀→鈴木蘭々→エロスエ→エンクミ→仲根かすみ→上戸彩とショートカットのロリ系がそれぞれ好みで、3人とも、それらの有名人にイカレている。

彼の母親は最近ゲーセンのオンラインゲーム・三国志大戦をよくやっているが、たまたま対戦で当たった彼を完膚なきまでに倒し、その後彼の携帯に「親とはいえ、親を殺す気が無いと勝てないよ。」とお説教をかました。
(ちなみに彼は、麻雀格闘倶楽部のファイトネームは「うえとあや」三国志対戦では「上戸彩&大興」と名づけているので、すぐバレる)

ジャンショーグン・その他編

2005年3月29日に放送された「志村けんのバカ殿様」の番組内でやっていた、ダチョウ倶楽部の激マズチャーハンを見た彼が、ムトーにそのチャーハンを作らせて食べたのはいいが、食べたなり「バカ乃花の便器はどこだぁ!」と走ってエチケットタイムに入る。その後「よくもこんなもの喰わせやがって!」と逆ギレして、とばっちりでムトーにダチョウ(納豆・もずく・ドリアン(!)・魚肉ソーセージ入り)チャーハンを食わせた!

2005年3月に交通事故にあった際病院に運ばれ、目を覚ました際、すぐに妹のまりあドクターに「ウィポやらせろ!」とうるさくせがむ。悲惨だったのは彼をぶつけた相手(RV車を運転していたとの事。)が、自転車がガラスを破って乗っかって、肩の骨を折ったり、上半身がガラスの破片が飛び散って血だらけになるなどの大ケガ。しかしもっと酷いはずの黒船が事故の割に奇跡的な単純骨折であり、彼を診断した整形外科医師が「この人の回復力は爬虫類並だから。(驚)」と言って全治3〜4週間ですんだのだから、まさに死神の化身だ!!

タイタニックを映画館で見ていて、ディカプリオが海に沈んでいくシーンを見て「ディカプリオ、死ぬんじゃねぇ!」とマジ泣き。

花粉症と全く縁のない彼は、花粉症に悩むムトー君の兄貴に"花粉症になってみたいのぅ"と言って呆れられた。

高校時代、郵便局でバイトする時に提出した履歴書には、健康状態の覧に赤字で"絶倫!"と記入。それでも、課長が面白いから採用といって、卒業まで郵便局のお世話になった。

彼は小学6年生のときにピアスを開けたが、理由は藤井フミヤの大ファンだったから。あの当時、彼はチェッカーズの髪型も真似していた。

彼が小学生のころ、スカートめくりではなく"スカート下ろし"と言うセクハライタズラをしていた。特に、小学校5年の時は、新任の先生だったので柔道部の3バカトリオ(ファミリー編参照)と結託して、その先生のスカートを下ろした。

彼が1992年5月に初めて上京してやった事は、亀有公園前派出所探し。亀有公園には交番はないが、似たような建物が北口にあり黒船は「両さんいますか?」と警官に聞いた。警官は、今日土曜だから「両さんは府中だよ。でも、部長はいるよ」と言われて、(名前だけ)大原部長と記念撮影をしてサインも貰った。(余談だが、この大原部長98年に定年で辞められた)

1994年、アイルトン・セナが亡くなったときに、まりあチャンにセナの直筆サインを無くされた彼は、まりあチャンの手足をベットに縛り付けて、顔面にゴキブリ6匹を置き、泣き叫ぶまりあチャンを知らん顔して、テレビの「暴れん坊将軍」に夢中。番組が終わったときに、運悪く母親が帰ってきて、気絶しているまりあチャンを見てこっぴどく怒られた。

腹が減って耐え切れなくなった彼は、部下である中本潤技師のペットの蛇を盗んで食った。潤チャンが、蛇の事を聞くと彼はシラを切ったが、蛇の皮が口に付いていた事から、潤チャンが泣いてキレた。

2005年5月、献血ルームで献血した時、献血の時に見てたビデオはバカ殿様。おかしさのあまりに笑い転げた拍子に針が抜け、腕から大出血を起こし救急車で運ばれた。

泉谷しげると仲がいいが、泉谷の家に遊びに行くたびに、彼は泉谷から「お前の顔は暑苦しいんだよ!」とバケツ一杯の水をかぶらされる。

遅刻魔の武藤君を新宿駅で呼び出す時に駅員に"なお、高輪郵便局(当時在籍)の武藤さんは25歳にしてインポです。短小です。早漏です。と呼び出し、怒った武藤君がホームから現れて"左からの下手投げ"を喰らわされた。

彼の普段のファッションは、いつでも戦闘ができるように足元はエンジニアブーツを履き、腹には鉄板を入れた上で、手にはオープンフィンガーの皮手袋を着用している。

小学生時代、ドリフの学校コントの真似をして先生に「おい、ゾンビ!、化け物!」と言って散々怒られた。

同じく小学生時代、彼は6人の手下を連れて長府(彼の住んでいた下関市中心部から東の外れ)の野菜畑に夜盗を毎日繰り返していた。そして、彼の当時の右腕格が「ここの野菜美味いよなぁ。俺たちが作ったらもっと美味いんだろうなぁ」と言う言葉をきっかけに、その日を境に夜盗をやめ、それぞれが農業や水産・獣医の技師になって、農林水産業に貢献している。

ときメモファンの友人の結婚式が「コスプレ結婚式」だったため、彼は虹野沙希のコスプレをやらされた。きらめき高校のセーラー服着た上に、水色のショートカットのヅラまでつけて。
(ちなみに武藤君は朝日奈夕子をやらされた)

彼が初めて名古屋に行った時、愛知県庁に行くのにタクシーで行った大の字はタクシーの運転手が名前を名乗るのに対して「私、こういうものです。」と言って名刺を渡した。同じタクシーに乗っていた愛知県の畜産課の職員は「名古屋の運転手はみんな名乗ってるんだで、名刺やったら、損するだけだがや。」と苦笑い

我が社の副社長である川田(紫龍)が彼と武藤君・志村さんをメイド喫茶に招待したが、志村さんはなんとタキシード。彼が"オッサン、メイド喫茶に行くのにタキシード着ていくバカがどこにいるんだよ!"の問いかけに、志村さん(和製ジェームズ・ボンド)は「英国紳士と言うものは、常に身だしなみを気をつけなくてはいけない。フレンチの君にはカジュアルがお似合いだろうけどね」とイヤミをかます。

同じく、川田がメイド喫茶に3人を招待したのは「ポイントカードがたまると、メイドさんとのツーショットが撮れる」と言う特典に大食いの彼と武藤君を招待したが、大食いキング・松下君がいなかったので、志村さんを招待した。
中野の「まんだらけ」(アニメショップ)で、紫龍と二人で美少女アニメ関係のグッズの衝動買いに行った時、なじみの店員から「そんなに買って、奥さんに怒られませんか?」との問いに
大興君は「バ〜タレぇ!女房が怖くて中野に来れるかっちゅーんだよ!」
しかし、その後ろには中野に買い物に来ていたゆかりチャンがいて「女房がどうしたって?」と、耳を引っ張られて連れて帰られた。

結局、大興君もメイド喫茶の行きつけになり、メイド喫茶の灰皿とカップをもらう暴挙に!。
それも「大興お兄ちゃんの、お世話になりたい。」と言うメイドさんの直筆入りにイカレている。

2006年1月にスキー旅行をしたときのネタ。
彩チャンが化粧する事30分、イライラした彼は「おい、バカ彩。まだかよ!誰も、お前の眠そうなツラなんか見てねぇよ。」その瞬間、彩チャンに左フックを喰らってKOされる。

そのスキーで散々シゴかれた彩チャンは、彼を漁船に乗せて、走行中の漁船(110t)から海に投げ捨てた。
ちなみに、この日は時化の海だった。

大興君が新しくフェラーリを買ったのに対して、アストンマーチン・バンキャッシュを買った志村のオジさまは、大興君のフェラーリのおかげで自らのアストンマーチンは全く注目されず、復讐のために武藤君と松下君を借り出して「群馬県の肥溜め」から人糞を2tダンプに積んで、大興君のフェラーリにクソを掛けるだけ掛けた。
翌日、大興君は洗車に追われ、翌々日の郵便局の出勤にはハマー(ゆかりチャンの車)で出勤。志村のオジさまが「いつものフェラーリはどうしたんだ?」というと、「誰か知らんが、フェラーリにクソをたっぷり掛けやがってよ。」と怒り心頭の大興君。
結果、口の軽い松下君のおかげで、郵便局中にその話題が漏れてしまい、志村のオジさまのアストンマーチンには山盛りのクソを返され、車を持ってない武藤君と松下君は、愛用のバイクを彩チャンによって、跡形もなくスクラップにされてしまった。

彩チャンと瑞穂チャン(現:杏林大の医学生)が一緒に郵便局入ってきた時、志村のオジさまと大興君と彩チャンと瑞穂チャンとで二次会のカラオケに行った時に、ジュリーの「ストリッパー」を歌いながら志村のオジさまと一緒に、大興君は全裸になった。
男慣れしていた彩チャンは『さすが、二人ともイイもん持ってるねぇ』と感心してたが、(まだ処女だった)瑞穂チャンに大泣きされた。

ある日、あずさチャンと一緒にボウリングに行った時、あずさチャンに完膚なきまでにボロ負けする。それも、ジャンショーグンは1ゲームで100点を切ったんだから恥の上塗りもいいところ。

ある日、ムトー氏の嫁さん・彩絵(さえ)チャンが作ったおにぎりの中に梅干が入ってたのを知らずに喰った彼は、脱水起こして救急車で運ばれた。元々梅干し嫌いでそれを食べるといつも脱水症状を起こしてしまうとのこと。

またある日の食事中、篠原ともえの声をテレビで聞いて、その声で寿司があたって食中毒起こし、無様にも救急車で運ばれた。

小学生の頃、腹が減った彼は手下共を集めてカタツムリを収集させ、焚き火でカタツムリを焼いて食っていた。

ある日、彼はムトー氏と妹婿の松下君に"忍者食"の人体実験を行なう。
「あずさが喰ってるから、おまえらも大丈夫だろう。」と言って出した赤いジャム。このジャムの正体はトマトのジャムだった。
その他にバナナのマーマレードや、スイカのマーマレードを出してきてヒドイ目に遭わせている

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