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長嶋茂雄奇行集

〜長嶋語〜

「THE」を「てへ」と読んだ
なお一茂は「とへ」

若手のことを「ヤングボーイ」

打者のことを「バットマン」

肉離れを「ミートグッバイ」

アイムソーリーを「アイム 失礼」

「失敗は成功のマザー」
※実際には記者が記事内でこう書き、長嶋氏は「失敗は成功の母」と言っているということですが、このままにしておきます。

バッティングのことを「バリング」

バントなどの小技を「小物」

アピールを「アッピール」
(アッピールという表現は多々確認されるが発音からではァピールのほうが近い)

レフトへ引っ張ったとき「レフトへプルしました」

左腕投手陣を「レフティーズ」

新しい人を「フレッシャー」

鶏肉料理を頼んだとき「アイム チキン」

「ミラクルのあるゲーム展開でしたねぇ」

「メイクドラマ」「メイクミラクル」「ミラクルアゲイン」

「松井のロングできまりました。」
(松井=現NYヤンキースの長打で勝ったゲーム後)

「よし!今のいいぞ、ニュープレイだ!」

立教大学時代、英語の成績不振のため、単位追認試験で
「I live in Tokyo.」を過去形にしなさいと言われて自信満々に
「教授、からかっちゃいけませんよ。I live in Edo.」と答えた

外国人の友達と会うときに、こんにちわと言う意味で「See you again.」と言ってしまう

レポーター時代、外国人の取材で長嶋氏がしつこく意味不明の英語を連呼したので「Oh! He is crazy!」と言われたが長嶋氏は「HAHAHAHAHA!Oh!Crazy!Crazy!」と喜んでいた

野球W杯でキューバについて「キューバはこれまでアイアンでしたけど、これからはウッドですからねー」

2002年8月26日の都市対抗野球でも「アイアンからウッドに変わって、試合のテンポがよくなった。ウッドの快音もいいですね」

「セントボール精神、いわゆるセントボールスピリッツ」

「力道山がデビューして、ブームを作った時のギャラ、ビッグでしたね」

誕生日が来るたびに「ひとつ年をイートしまして」

「サバってどういう字を書くんでしたっけねえ?」と記者に聞き、「魚へんに青ですよ」と答えたら「魚へんにブルーですか」

寿司屋に行ったとき「ヘイ、シェフ、サバはフィッシュ偏にブルーと書くんですよ」

せんだみつおとゴルフに行ったとき「いわゆるホットでサマーな日ですね」

世界陸上にてカール・ルイスに向かって「ヘイ!カール!カーール!!」と叫んだが無視された

「ハイボールはルックしろ」

「7回をワン失点で抑えた」

「打つと見せかけてヒッティング」

「みなさん、これからも球場へウェルカムです」

「勝利の方程式の完成には1試合を9人が各自を自分の分をコンプリートしなければ」これを聞いた記者は唖然としていた。

夫人のことをきかれ「僕にもデモクラシーってもんがあるんですよ」

寿司屋に入るなり「ヘーイシェフ、トロ一丁!!」

「そういった類のアレをですねー」

「奇麗事なんて、そんなのお子様ランチですよ」

「打った球はズライダー」
なお現在長嶋氏は曲がらないスライダーのことを"ズライダー"と言っているらしく、2000年に三沢が打たれて負けたとき「三沢が大誤算、スライダーがズライダーになっていた」

「ベースボールはイングリッシュのスポーツ」

大牟田での講演で「まな板のコイに乗る」

朝のあいさつで「さあ!おはよう!」

2001年ヤクルトにマジックが出たとき「いやーまだ鼻毛の差ですよ」

「耳からタコがでるくらい口うるさく・・・」

「勝負はネバーギブアップしてはいけないということですね」

「序盤でこれだけビハインドが続くと、ビハインドがイージーになる」

2002年阪神のキャンプに来て桧山に対して「サンサン打たなくちゃ」

エッセイ集の出版発表のときに「僕は12年間漏電していましたから」

記者の「長嶋さんのダイナミックさはどこからきているんですか?」の問いに「英語だから、アメリカですね」

「雨降ってグランド固まる」

打撃練習中のドラゴンズ・福留のところに勝手に来て「ピシっとして、パーンと打つ」

ホームランバッターの条件を聞かれ「右にも左にも打ち分けることのできるテクニシャンを持ったバッターでしょうか」

遊覧船を操舵したとき、蛇行させてしまった。そのときに長嶋氏は「ちょっとOB出した」

フランス国旗のことを「赤、白、ブルー」

「体力はむしろ、僕のおすすめ品」

「昨夜も午前2時に寝て、午前5時には起きましたからね。5時間も寝れば十分です」

2001年巨人が7連敗してコメントを求められ「近鉄の監督だ」
記者が理解できないでいると「なしだ!」と吐き捨てた。

1塁走者が自動的に走る状況で「オートマチックなヒットエンドラン」

2003年10月18日の日本シリーズの解説でも2死フルカウントの時に 「オートマですから」

原への打撃指導伝授で「腰をグーッと、ガーッとパワーで持っていって、ピシッと手首を返す」
そして原の「極意ノート」にはこの発言がそのまま書かれた

同じく原への打撃指導で「ビューと来たらバーンだ」

神宮球場に来たイアン・ソープに向かって「How old おいくつ?」

2002年7月17日、桑田の投球を見て「初めてだからトライがしっかりしてなかった、今日は完敗」

ねじめ正一との対談でいきなり「打者にはポエムが必要だ」

2000年の正月番組で「んーミレニアム、千年に一度あるかないかのビッグイヤー」

王の本塁打で記憶深いのを聞かれて「やはり非常にもう、いわゆる土壇場で放った、いわゆる山田投手から・・・いわゆる選手権でのいわゆるホームランですね」

2000年、春のキャンプで工藤のピッチングを見て「暖かいとババーンとくる」

原に対して擬音だらけの指導をしているにもかかわらず「ユニホームを脱いだら、自分にしか書けないきちっとした野球の技術書を出したい」

FAした工藤に「まごころから来て欲しい」

98年、初のディナーショーで「心がスポーツなんですよね。僕もスポーツマン」

99年ドラフトで「田村(谷のこと。現:千葉ロッテ、名前編参照)君は・・・1位(高橋)と2位(谷)の力量は好対照」

松井がバッターボックスに立ったとき「ヘイ!ボーイ!カモン!ボーイ!」を連発。そのあとも「ヘイ!カモン!」を連発していた。

ボールボーイに対し「うーん、ナイスラン、いい走りだねえ」

敗戦時のコメント「序盤、中盤、9回とファイブのチャンスを逃した」

「クリーンアップトリオでヒット10本打線は開幕からずっといいよ」

「日本人は農耕民族として、ディフェンス的な生き方をしてきた」

寿司屋でシャコの握りを頼むとき「シェフ、ガレージ2つ」

アメリカでタクシーを呼ぼうとしたとき「Please call me Taxi.」
直訳すると「私をタクシーと呼んで下さい」

2003年の中日キャンプに来て福留に「角度は46.7度」などと訳のわからん理論を展開
※実際には「46.7」ではなく「46、7度」でした。これだとありきたりな理論ですが、一応残しておきます

2003年8月の解説で「疲労の消耗」

「松井君にはもっとオーロラを出してほしい」

四球を「よんきゅう」

1964年5月3日、生卵サダハルが1試合4連続本塁打を打ったとき「ワンちゃんは怪物だ」

監督就任時「クリーン野球」

巨人が初の最下位になり、まわりから「カンピューター采配」と呼ばれた

寿司を食べた後板前に「板さんのオニギリ、美味しいね」

どうしようもない完敗をしたとき「ダブル完敗」

相手チームのことを聞かれ「うちとやるとき、みんなダブルハッスルしてくる」

股間にボールが当たりそうになった時、「危なかったですよ。ギョクですよギョク。当たっていたらギョクが粉々ですよ」

1994年「ワーストはネクストのマザー」

天覧試合で「今日はロイヤルな方がいらっしゃる」

広島の東出に「体が大きくなった、顔もうるさくなった」

長男:一茂に双子の女の子が誕生したとき「う〜ん、一人目は一茂にそっくりですねぇ」
なお、双子は一卵性双生児でした

〜名前編〜

ラジオの収録のときに「こんにちは、長嶋シゲルです」と言ってしまった。
機械の調子が悪くて録音できなかったと言う理由をつけて、もう一度録音してもらうことにすると、快く「いいですよ」といい、また「こんにちは。長嶋シゲルです」と言ってしまった

自分の娘の三奈のことを聞かれて「ああ、三奈子ですか」

現役時代、彼の名前表記はマスコミ各社の協定によって「長島」に統一されていた。
しかし1992年オフに虚塵の監督に再就任後、本人の希望で「長嶋」となり「これからは長嶋で統一したいね」としきりに言っていたが、翌年「史上最強の「長嶋茂雄」読本」という本が出版されることになり担当の編集者が長嶋氏本人に出版許可のサインと捺印をもらった。その時の自筆のサインは「長嶋茂雄」だったが捺印は「長島」だった。

伊良部が大沢氏によって、イラブクラゲとあだ名をつけられた。それに対して、「シーサイドのアニマルで、クラゲですか。シーサイドの」

「今日のクワダはイニングがファイブでしたか」なお長嶋氏は最後まで桑田をクワダと呼んでいた

記者の人に「今年のピッチャーの3本柱は?」と聞かれ「クワダ、斎藤、そしてクワダ」と答えた

高橋由伸を「おい、山下!」

同じく高橋由伸を「おーい、高橋ヨシノリー」

さらに高橋由伸と高橋尚成をまとめて「ヨシヒサー」

広沢を代打に送るとき「代打、広岡」

清水を「柳田」「淡口」
なお清水はここで返事をしてしまうと、自分が柳田というのを認めるため無視していたが、それで長嶋氏に嫌われてしまい、結果2001年は優勝できなかった

川口を「淡口」 谷を「田村」

阿波野をリリーフにだそうとしたとき「ピッチャー、アワグチ(阿波野+川口)」

「レフティーズ(長嶋氏命名)」のことを聞かれ「いやー、ゲンちゃん、柏田・・・・・・・・・。まあいますね」テレビに出ていたレフティーズの宮本は唖然としていた。

上原が事故を起こした時、被害者に見舞いに行き「うちの二岡が迷惑かけまして」 なお最後まで上原と二岡を間違えていたらしく、2001年最後の登板で上原に代打を送るとき「二岡、もう打たなくていいぞ」とウェイティングサークルから下げさせた

ハギワラを「オギワラ」 

2001年、ヤクルト・藤井のことを「セリーグ最多勝の稲葉のピッチング」「稲葉のピッチング」と繰返していた

阪神:濱中を「浜田」

阪神:ムーアを「メイ」

藤立を「藤本」

大豊を「ニイハオ君」

山崎(ヤマサキ)を「ヤマザキ」

井端を「岩瀬」

ゴメスを「ロペス」

ペタジーニに向かって「ハイ、ペタちゃん」当然無視された

CMで共演した木村拓哉を「キムラタクロー」

松村邦洋を「ブ―ちゃん」

高倉健を「鶴さん」

鈴木康友に対して「誰だっけ?」

同じく鈴木康友を「うん?ノブヨシ?どうだ調子は?」

徳光和夫に対して「んーどなた様でしたっけ?」徳光はショックで寝込んだ

スワローズに対して「スズメ軍団」。これを聞いた若松監督は怒った

日航の飛行機をみて「あ、ANAだ」

生卵サダハルのことを「ワンちゃん」
そのせいで生卵サダハルは、中畑から「ワン公」呼ばわりされることとなる。

現役時代、川上哲治監督のことを「ヘイ、ボス!」

バルビーノ・ガルベスの投球内容を記者に聞かれ「良かったですね〜今日のバルベスは」

同じくガルベスを「ガルビーノ」

入来(現:北海道日本ハム)を散々説教した後「ところでお前、名前なんだっけ?」

横浜監督だった権藤を「ゴンちゃん」

当時巨人だった、元・日本ハムの投手・河野を、北京原人に似てるから「ゲンちゃん」と失礼極まりないあだ名をつけて、悦に浸っていた

阪神コーチの田淵を「ブッちゃん」

マルティネスに金田を紹介したとき「マルちゃん?こちら金田さん。ピッチャー」

中日・森岡を「藤岡」

ダイエー・神内投手を「神月」「神浦」

2003年8月16日の阪神戦中継で赤星を「赤堀」

2003年10月18日の日本シリーズでバントを打った矢野を「城島」

元阪神中田(愛称マイク)を「マイケル」

芸人のはなわに「佐賀君の出身はどこ?」

〜二重表現編〜

今年の清原についてコメントを求められ「今年の清原君はシャープが鋭くなって」

2001年オールスター第2戦のインタビューで「まあお祭り的な、オールスターという夢のドリームにおきまして・・・」

「上原と二岡は1年目のルーキーで・・・」

「1年間の疲労の疲れを癒すんです」

「若さがヤング」

正月番組で「ハッピーニューイヤーな年明け」

「明日は大きなビッグゲームになるよ!」

ダイエーのキャンプにて「少し若干・・・」

「秋の秋季キャンプでは・・・」

「今年初めての開幕ですので」

ロス五輪にて「いやあ興奮を通り越して、エキサイティングしました」

ソウル五輪でも「ほんの一端のさわりを紹介します」

「守りのディフェンス」

「ミラクルアゲインの奇跡を再現しますよ」

「ペナントの始まりがスタートした」

「昼食のランチタイム」

「体力の力」

松井(現:NYヤンキース)を「スターの星」

「雪のスノー」

大牟田での講演で「世界の国際に通じる」

「歓迎でウェルカム」

カール・ルイスに「コングラッチュレーション、大会3度目のおめでとう」またも無視された

「打つ打点のポイントを」

「左のサウスポー」

あるルーキーの投球を見て「速球が速い」

「選手の状態がいい状態」

2002年アジア釜山大会の閉会式で「思い出がメモリーになって」

99年ダイエーが優勝したとき、生卵サダハルへのコメントで「自分の我に返ったときに」

2003年1月6日放送の徹子の部屋で「精神面とメンタリティを強くしないと」

同じく徹子の部屋で「三角ベースは野球も早くスピーディ」

「投手の苦しい6回7回、いわゆるシックスイニング、セブンイニング」

1981年、中国新華社通信の"今は何をされていますか?"の質問に
「フリー、自由人です」

〜奇行編〜

〜食べ物〜

巨人選手に一人1個来たメロンの一番上だけを食べて捨てた

チームへの差し入れの牛肉を全部自分のと思い込みツバをつけた。その後川上にこっぴどく叱られた

ハムサンドは中身の具だけ食べていた。そして、そのまま元通りにパンを合わせておくらしい。
その後、一茂が食べようと思ったら、中身が全部入ってなかった。

他の選手への差し入れの一箱3〜5万円もする「女峰苺」を一気に食べてしまった。その後イチゴが気に入ったらしく、毎朝一箱桐箱入りのを買って食べていた

巨人のフロントと高級料亭へ食べに行ったとき、綺麗に並べられたふぐ刺しを全部箸でかき集めて二口で食べ、一瞬にして空になった皿を唖然として見ている一同に「みんなどうして食べないの?おいしいよ」

ただの赤飯を食べて「なんだこれは。うまいなあ。これもち米か?小豆が入ってるじゃないか。うまいなあ」

1999年のオールスターでコーチなのに「監督室」に閉じこもり、さら「監督」の権藤氏を追い出して「暇だったからブドウは種無しと種有りのどっちが甘いかを試していたんだ。種無しのほうが甘いね」

長嶋氏がゴルフをしている近くの農家の人がとても長い山芋を渡したところ「どもー」といって長芋をボキボキ折ってトランクに入れた。帰ってきた頃には山芋は台無し。

宮崎キャンプで練習が終わると行きつけのうどん屋に直行し開口一番 「うどんある?うどん、うどん」そして出てきたうどんをすぐに食べて店を出る。が、スパイクを履いているため店の床はボロボロに。

選手時代、フグが食いたい長嶋氏は西鉄とのオープン戦で試合中にも関わらず豊田泰光に「もう我慢できないっすよ!」と言ったが豊田は無視。がその後二塁打を打ち、豊田の側に行きまた同じことを言った。 その後豊田は後援会を使い長嶋氏をフグ料理に招待したが例によって一皿丸々持っていき、食い終わった後に「トヨさん、毎日こういうのが食えて幸せっすね!」

お偉い方々との会食でさえ、自分が気に入らない食事があると全く見向きもせず箸もつけない。首相との会食でもそうだったらしい。

監督後期、チームが不振だと招興酒にザラメ砂糖をたくさん入れて溶かし飲んでいた。そして酔っ払った長嶋氏は「大丈夫ですか」との問いかけに「エッヘッヘッヘ」と例の笑いで答えた。

東京・九段の中国飯店で6000円のフカヒレの姿煮スープそばを頼み、「ゼラ(ゼラチン)は体にいいんだよ。僕の血色がいいのはゼラのおかげ」

「俺は母乳で育ったから」と言って牛乳はまったく飲まなかった

練習中、長嶋氏が突然スタッフに一万円を渡し、「アンパンを買ってこい」。金額が多すぎると言っても「いいから買ってこい」。結局一万円分のアンパンをかったが、長嶋は中身のあんだけ食べてパンは捨てた。そのため周囲はパンくずだらけに

監督時代、試合後に選手が「皆で寿司を食べに行こう」と言うと、体が冷えると言う理由でダメだと言い、代わりに焼きバナナを食べろと言った。

〜非常識〜

オープン戦、勝てば選手1人に100万円づつの賞金がもらえる試合だった。そのミーティングで「100万円獲りに行こうじゃないか。100万円あれば飯が2〜3回食べれるだろう」

一茂に自動販売機でジュースを買うように指示したとき、1万円札を渡したらしい。その後「えっ?お釣り来るの?」

宮崎キャンプに来たファンに「静岡から車で来たんですよ」って言われて「静岡!あぶないなあ。随分遠いでしょう。ヘリは持ってないの?」

東京ドームの風呂は石鹸を落とさず入るため、長嶋氏が入った後は泡だらけで誰も入れなくなる

新横浜駅から新幹線に乗ろうとしたとき、切符を渡されている選手を横目に手ぶらで改札に向かい駅員に「おはようございま〜す、長嶋で〜す」と構内へ入ってしまった。駅員は唖然としていたそうだ。

2002年9月26日、東京ドームに解説でやってきて、女ジャビットの更衣室に入ろうとして警備員に止められた
なお、長嶋氏はジャビットのプロテクトはディズ○ーラ○ドのミッ○ー○ウス並らしい

豊田選手にフグを奢ってもらった後(食べ物の項目参照)、二人の娘を「お持ち帰り」した。が豊田の元に30分後に帰ってきて、豊田が娘にどうしたのか聞くと「(30分で)二度もやりはった」

〜その他〜

小学校時代は番長だったが、当時小さかったので、自分が喧嘩をすると負けるため、部下に任せて高みの見物だった

立教大学の卒業試験のとき、バレバレのカンニングをしまくっていたがもう巨人に決まっていたということで暗黙したらしい。そのことを知らず長嶋氏は「俺はカンニングの天才」と威張っていたらしい

本人曰く「集中してると頭の中が真っ白になる」

円山球場での試合のとき、ストッキングの片方を忘れてマネージャーに片方の靴下を黒く塗らせてストッキングらしく見せた

川上が偉人伝をを選手に聞かせ、各自感想を書くようにと命じ、他の選手が色々と感想や意見を提出する中、長嶋氏はただひとこと「わかりました」

ホテルでチェックインするときに名前と職業を書く欄があって、両方に長嶋茂雄と書いた

大雨の翌日一茂を連れて「練習行くぞ」と多摩川グランドへ。が前日の洪水でグランドは田んぼ状態でしかも魚が転がり練習は中止。しかたないので巨人のユニフォームでフナを拾って帰った。

ホテルで電話をしながらメモをとって堀内コーチに渡したのだが、その電話番号の下2桁が足りなかった。長嶋氏の部屋に戻ると机の上にはしっかりその下2桁がかかれていた

試合中初対面の掛布に三塁で「君、年いくつ?」

巨人に入ったルーキーの投手に対し「君、童貞?」

五輪の陸上100m決勝で「今年はジョイナーのような小股の切れ上がった凄いのがいませんねー」といってコマネチポーズをした

チームがボロ負けしたとき、乗っていたタクシーの運転席を思い切り蹴り上げ、運転手は鞭打ちになった。

さすがに自分でも分かっていたのか「かなりクレージーな方だったんですねぇ、勉強は全然だめ」

秘密打撃特訓と称し、風呂場で選手を前に全裸で素振りをした。そのとき、「男性にだけ付いている“袋”を、両太ももで挟み込むように振れ」
なお、現役時代でも全裸で素振りをし、「大切なもの」の振れ具合でバッティングの良し悪しの判断をしていた

94年のヤクルト戦で西村投手が村田真に頭部死球をしたあと、「西村にぶつけろ」と指示。
投手は西村の頭部に速球で報復死球を与え大乱闘に。その後長嶋氏は「目には目をですよ」とほざいた。しかし長嶋氏には何もお咎めなし。

上のようにほざいておきながら2002年3月に「うちはぶつけごっこをする気はありません」

遠征先で麻雀をしていたが、長嶋氏の捨て牌だけ異様に黒い。他の選手が長嶋を見たら、タバコの灰を座布団代わりにしていた布団の上に撒き散らした上に、布団にタバコを押し付け火を消していた。そして出来た焼け焦げの穴に長嶋氏は指を入れていた。
上の様な感じなので麻雀はとても弱かったらしく、若い頃は麻雀で300万の借金を抱えていた。長嶋氏と打つと必ず勝てたので「小遣い配給係」と呼ばれていた

知合いのスポーツ新聞の記者からから、生まれた子供の名付け親になってくれるよう頼まれた長嶋氏。ああでもない、こうでもないと、思案をかさねたが、挙句の果て選んだ名前は「茂雄」
なお、名付け親を頼まれていたことを1ヶ月以上忘れている顛末だった

長嶋氏は早朝ランニングをするのが、日課だったが、走ってる最中に、ジャンパーなり、ジャージなりを脱ぎ捨ててくるので、マネージャーも長嶋氏に同行することになった

デービー・ジョンソン(現オランダ代表監督)が読売でプレーしてた時(75・76年)の話、ある日の試合で4タコに終わったジョンソンがシャワーを浴びてると、長嶋氏がいきなり入ってきたあげく、ジョンソンの股間をつかんで一言、「ユーはマンだろ」といった。ジョンソンはこのことへの謝罪を要求したがもちろん、聞き入れるはずはなかった。なお、ジョンソンはアメリカでは名将として名高いが、これは長嶋氏を反面教師にしたかららしい

長嶋氏はオフシーズンは必ず、伊豆で「山篭り」をしてると報道されてたが実際はこれ幸いとうまいモノを食いに行ったり、海外旅行してたそうだ。

そしてある年のキャンプ初日、長嶋氏がオーバーウェイトでキャンプインしたのに気づいた牧野ヘッドコーチ(故人)が「オマエ、また山篭りしてたのでは?」と突っこむと長嶋氏は「まあいいじゃないですか!」ととぼけた

購入したばかりのBMWを運転中、「今日は随分エンジンブレーキが効くなぁ」と思いながらもそのまま走っていたら、車が火を吹き出した。サイドブレーキを引きっぱなしで走っていた為で、車は即廃車となった。

〜ボケ采配編〜

捕手の大久保に向かって「デーブ、まっすぐ投げさせろ!」と叫んだ。その通りにして巨人は見事に敗北。
試合後デーブはコーチに「監督の言うことを聞いたらだめじゃないか。」と怒られた

決め球に迷っていた橋本に向かって「フォークだよ、フォーク」と握りも見せて叫んだ。橋本はそのとおりにフォークを投げたが、打者の立浪はそれを見逃さずホームラン。長嶋氏はそれを見るなりベンチから逃走

淡口を代打に送ろうとしたときにバントの構えをして「代打、淡口!」

同じく上田を代打に送るときバントの構えで「代打、上田!」
それを見ていた相手チームは当然投球時に内野猛ダッシュ。長嶋氏は「サインがばれているのか?」と聞いたがすかさず「違います。監督が代打を告げる時に自分でバントの構えをやって見せたでしょ!」と言われる

98年永池を代打に送ろうとしたときもバントの構えをして「代打、永池!」

土井を代打に送るとき「バント、土井!」

ルイスの守備をマスコミに叩かれて、そのとき「彼はやりますよ、皆さんご存じないでしょうが私は同じサードでしたから分かります、ハイ」

槇原がもうすぐ完全試合というとき、ベンチのメンバーに「いいか、槇原が緊張しないように、パーフェクトと言ってはだめだぞ」と声をかけていたが、その中の一人が「監督、ぼく本人なんですけど」

ヤクルトとの対戦で、当時石井(現:ドジャース)の恋人だった神田うのがきていたときある選手が「今日はうのが来ているから先発は石井ですよ」と言ったら長嶋氏は「そうか、うのが投げるのか。あいつは球が速いからな」

相手チームの4番打者が長嶋氏に「スランプだ」と言ったら「ガーっと来たボールをグーっっとひきつけてコンとスイングすればいいんですよ」とアドバイス。なんとそれでスランプを脱してしまい巨人は大敗。

リリーフを送るとき、左手で投げるジェスチャーを繰り返し「マキハラ!マキハラ!」と叫んでいた。
出てきたのは右投げの槙原であった。

大久保に「今日の槙原はどうだ?」と聞いて大久保は「大丈夫」と返したが長嶋氏は「いや、今日はダメだ、すぐに打たれるよ」長嶋氏の言うとおり槙原は滅多打ちに遭ったがそのとき長嶋は喜んで「ほら、大久保!打たれたろ!」

2001年オープン戦で「今日(巨人は)誰が先発で出るの?」

「代打、後藤!」と言ったがベンチの後藤は理解不能な顔をした。長嶋氏がもう一度「代打後藤だよ!」と言ったが後藤は「監督、僕さっき代走で出ましたけど」

  ピッチャー木田に打席が回ってきたとき、代打を送らずそのまま打たせたので誰もがこのまま続投と思ったが、ピッチャーがヒットを打ったとたん「代走○○!」とコールした

〜ボケ編〜

〜高校・大学〜

長嶋氏が高校3年生のとき、入学当時から20センチも身長が伸びた。ある日長嶋氏は、保健室を訪ね、不安げな表情で「まさか俺、背の伸びる病気じゃ・・・」と相談。
それを聞いた保健教員は「おめえ、百万人に一人のバカ」とあきれ果てた

立教の長嶋氏専用入試問題の「赤鉛筆は何色?」という問題の回答を 「青」

立教大学で、級友がフランス語の辞書を買いに行くのに付き合い、辞書を見て「それ何?」と聞いた。級友が驚きながらも、これこれこうやって単語を調べることができるものだと教えると、「英語にもこういうのがあったら便利なのになあ」

大学時代のこと「アメリカの首都?シカゴに決まってるじゃないか」

大学卒業時に「今年はホントに僕のね、なんていうんですか、もう、一番のね、ある、例えばまぁリーグ戦でもね、春秋まぁ連続優勝と、それとまぁ僕個人としてもああいう記録の8号ホーマーですか、で、2度目のリーディングヒッターね、あれもとりまして、その中でやはり僕も8号ホーマーですね。あの11月3日ですか、文化の日にね、まぁ、しかも最後の学生野球に出たってことが、僕もあれは一生忘れることはできないでしょう」 これを聞いた記者はまるで理解できなかった。

大学卒業後、新聞記者に「どこの学部を出たのですか」と聞かれ「野球部に決まってるでしょ」と答えた。記者は仕方なく立教大学に電話。長嶋氏が学部というものを理解したのはその後であった

大学時代、後輩を連れ映画を見に行くことにした。後輩が「何の映画に行くのですか?」と聞いたら「今日は特別に黒澤の名画だ。三船敏郎主演の『ノヨシケン』だ」
映画館に着いて後輩たちが見たのは「野良犬」の看板だった

1957年、6大学新記録となる8号本塁打を放って「どんな球だったかわからない。夢中でしたね。口では本塁打なんて意識してませんといってましたが、そりゃぁ打ちたかったですよ」

立教大学時代練習がきついという理由で合宿所を抜け出し、エースの杉浦忠と共に中日ドラゴンズの球団事務所へ行き入団テストを受けさせてくれと頼むものの球団職員に「卒業してから来なさい」と言われた。

大学に入学して初めて杉浦を見たとき「メガネを掛けているから頭が良いんだなぁ」と思った

〜野球・現役〜

試合前着替えていたときに「ストッキングの片方がない」と選手全員使って探させた。よくみたら長嶋氏は片足に2つストッキングを履いていた

オールスターのとき、ベンチで「車の鍵がない」と言って、王や野村にさんざん探させた後に「あ、おれ電車で来てた」

遅刻をした時の言い訳「いやー電車が行き先を間違えちゃって」

後楽園球場に幼稚園児の一茂を連れて行き、置き去りにして大騒ぎになった。が長嶋氏は「どこかで遊んでいるんじゃないの?」とのんきにしていて、球場からの電話で初めて気づいたらしい。

またも後楽園に幼稚園児の一茂を連れて行ったが、その日は3打席3三振。「カッカしてすぐに帰ってきた」 もちろん一茂は置き去りになったが、なんと「(一茂を)誰かが連れて帰ってきてくれた」

試合後柴田がタオルを探していたとき、長嶋氏「おい、誰か知らないか?柴田のタオル?」
全員が必死に探している中、長嶋氏は柴田のタオルで自分のスパイクを磨いていた。

長嶋氏が現役時代、当時新幹線は博多まで開通しておらず、広島への移動は在来線での移動の事、新大阪から広島へ「はと」で移動するとき(現・名球界代表の)お金田正一氏が車掌の「特別優遇」でパーラーカー(要するにグリーン車みたいなもの)で移動するのを見て、長嶋氏は事もあろうにパーラーカーに不法侵入したが、車掌さんにより見事立ち退きを喰らい、長嶋氏は別の車両へ退散させられた。

巨人の契約金を銀行へ預けたが、おろそうとしたとき初めてどこの銀行に預けていたか知らないのに気づき、立教の先輩の家に電話して聞きまわった

試合前の素振りに没頭し、投球コース・球種を一球一球イメージしながらあまりにいいイメージの球が来ると、素振りにもかかわらず見逃し、 「うーん、今のは手が出ないな・・・」などど渋い顔をした。
そして素振りを終えた長嶋氏は、風呂に入ってそのまま帰宅しようとした。カバンを持って「じゃ」と選手に挨拶をして球場を出ようとしたら 「長嶋さん! どこ行くんですか!? これから試合ですよ!」 との声でやっと我に返った

1961年キャンプでアメリカに行ったとき「アメリカの子供はすごいなあ。英語ペラペラじゃないか。しかも車はみんな外車じゃないか。さすがアメリカだ」

アメリカに行ったとき「うーんアメリカの月はビッグですねー」

アメリカに行った時、長嶋氏は店にあったスーツが気に入り、何度も売ってくれと交渉したが断られ、結局諦めた。
実はその店はクリーニング屋だった

新車のベンツを買って初めて球場まで運転していったとき「今日は、車の調子が悪いんだね。アクセルが重いんだよ」
記者の一人が覗いたら、サイドブレーキが掛けっぱなしだった

新車のジャガーを買い、初めて運転したときどうも走りがおかしい。すぐにメーカーに「こんなひどい車があるのか」と怒鳴り込んだが、やはりサイドブレーキが掛けっぱなしだった

記者のインタビューで「打った球はカーブでした」といったのだが直後他の記者に「打った球はシュートでした」と答えた
なお、カーブとシュートは曲がる方向が全く逆である。

阪急との日本シリーズで旅館に試合道具一式を忘れてしまい、川上にばれるのが怖くて記者に頼んで荷物を取りに生かせ、その間長嶋氏は一人でランニングしていた。

第6戦では旅館のスリッパのまま球場入りした

日本シリーズで野村(元:ヤクルト監督)が心理戦に出て「チョーさん、左肩が下がっとるんやないか?」とフォームを崩させようとしたら長嶋は目を丸くして振りかえり「えっ、ほんと? タイム! タイム!」 とタイムを要求し、素振りを繰り返した。その後ヒットを打ち生還し野村に向かって「いやーノムさんありがとう!」
野村はこの瞬間、この男には心理作戦など一切通用しないことを思い知った

ロッカールームで柴田が着替えているとき、100円玉を置いていた。が長嶋氏はその100円を持っていこうとしたので柴田が、「それは俺のだ」と言ったら「ごめん、僕のによく似ていたから」

東北遠征のとき、寝坊した長嶋氏は上野駅に車を横付けし荷物を降ろし電車に乗った。その後長嶋家に警察から「車を預かっている」と電話。なんと長嶋氏はエンジンをかけっぱなしで車を上野駅正面に放置。
3日後、長嶋氏はタクシーで帰宅し、上野駅に車で来たことは完全に忘れていた。

プロ野球ニュースのインタビューで「なんで俺は今までバースデーアーチを打った事がないんだろう」
なお長嶋氏の誕生日は2月20日である。

1960年、一死一・二塁で一塁に長嶋氏。打者王がフライを打ち上げるが、アウトカウントを間違えていた長嶋氏は猛ダッシュで二塁を回り、二塁に戻ってきた走者藤尾を追い抜きアウト

ユニフォームを着たが、サイズが合わないらしく、異常に窮屈。ナインが長嶋氏の背中をみると、なんと背番号が8。半分にたたんであったのでどうも8が3に見えたらしい

1958年9月18日の後楽園球場での広島戦で、鵜狩投手のウエストボールを大根切りでホームラン。大喜びの長嶋氏は大喜びでダイヤモンドを一周。が、次の打者のときファーストの藤井が鵜狩に「ボールをよこせ」と言い、一塁送球しアウト。
はしゃぎすぎた長嶋氏は1塁のベースを踏み忘れていた。

1959年6月25日、走者1塁に長嶋氏。打者はフライを打ち上げる間に長嶋氏は二塁を回って三塁へ。捕球されると同時に長嶋氏は慌てて直接一塁へ戻ろうとして即アウト。
なお長嶋氏はこのミスを何と3回(以下64年、68年)も犯している

1959年、ボールの判定の後、一塁に行く長嶋氏を見て選手全員唖然。 その時のカウントは2−3で長嶋氏だけが四球と勘違いしていた

1970年、一死一塁で打者長嶋氏。2ストライクからの投球で長嶋氏は空振り、が捕手が後逸したのを見て猛ダッシュ。 長嶋氏はアウトカウントが1以下の時、走者一塁での三振は振り逃げできないのを知らなかった

長嶋氏に前打席ホームランを打たれた中日・板東は苦し紛れにど真ん中に投げ三振にしとめた。長嶋は板東に対して一言「オイ、コラ、魔球を投げるんじゃねぇよ!」

長嶋氏は現役時代、サイン見落としの常習犯だったが、ある日の対・大洋戦、土井淳が「サイン、出てるぞ」と突っこむと、「まあ、あれも仕事ですから」と全く意に介さなかった

後楽園での試合の後、自宅の場所を忘れてしまい、田園調布の自宅に電話して「僕です。長嶋茂雄です。あの〜、家が分からなくなったけど、僕の家はどこでしたっけ?」 電話に出たのはお手伝いさんで、美容院に(客として)行ってた長嶋氏の夫人が後楽園球場まで迎えにきて「あぁ僕の家ココだったんだ。」と家に着いての一声。

板東英二(中日)が先発時、虚塵のベンチから「年上の奥さんもらいやがって」とヤジが飛び、板東は激怒し「おどれら、ぶつけたるからな」と予告死球。王には当てたが、次の長嶋氏のときに、長嶋氏は大きく手を広げて「板東君、ケンカはよそうじゃないか!」と目をキラキラさせて言う。
板東は「このオッサン、 アホか?ぶつける気もせんわ」と呆れ果ててしまった。

土井正三とキャンプのときに同じ部屋だった長嶋氏は、土井が寝付いた時、寝ぼけてバットを取り出し土井の頭上付近でスイングを繰り返し、何事も無かったように寝付く。 また、途中で小便がしたくなったら、土井の腹を踏みつけていくが、帰りも同じ場所を踏みつけてそのまま何事も無かったように寝付いてしまった。

虚塵のナインたちはバットを自分持ちにしていたのだが、その理由は長嶋氏が他人のバットを勝手に使い、気に入ったバットがあると自分のものにしてしまうから。なお、長嶋氏は自分のバットを持っていなかった。
(それ以前に、自分が原因で自前バットになった事さえも知らなかった)

虚塵のナインが時代劇や恋愛ドラマを見ている後ろで、長嶋氏は腕組みをして4〜5分経ったら、勝手にチャンネルを変えていた。ナインは当然怒るが、長嶋氏は「ストーリーは、いわゆる一つのこうですねぇ...。」とウンチクをたれるが、あるナインは「それを分かっていて見てるんだよ。」と激怒

〜野球・監督時〜

定岡の入団会見で背広を着せようとしたとき 「洋服を着るのは初めてか?いわゆるリーチは?」

スランプに陥っていた掛布が長嶋に電話してアドバイスを求めた。その時長嶋氏は「バットを持ってスウィングしてみろ」と言い「よーしそのスウィングだ」といった

大久保が「スイングを見てもらえますか」と言って素振りをしたが長嶋は「うーん、どれどれ」と大久保からバットを奪って何度も素振りをした。そして「どうだった?俺のスイング?おかしくなかったか?」

大久保が長嶋氏にバッティングを教えてもらったときに「バッターの心構えは、まず第一に集中力、次に細かいところに気を配る、これが三大原則です」
大久保は怖くて「あとひとつは?」とはつっこめなかったそうだ

1999年のオールスターで石井一久を見て「いいバリングをしているねえ。あれ?もう終わったの?うのちゃんのことでかまってやろうと思ったのに」

1999年8月22日の敗戦後、「清原君はヒット1本打ったから十分ですよ」

1999年の秋季キャンプに行ったとき、デーブに 「ブーちゃん、俺は今度還暦が来るまで監督やるよ」
長嶋氏はこの時点で63歳、次の還暦は57年後である 「勝負は家に帰って風呂に入るまで分からない」

自民政権が崩壊したときに「社会党が政権を取ったら野球が出来なくなるんじゃないですか?」

アナウンサーになった三奈に「インタビューは相手のいう事をよく聞くこと。自分ばかり話してはダメだ」
それを聞いた三奈は 「それはお父さんでしょ」と逆襲。長嶋氏は何も言い返せなかった。

2001年9月27日、広島に初回8点を含む猛攻で負けたとき「8回の1点が痛かった」

「監督辞任を決意したのはいつか」の問いに「いやこれはもう、いつかと言うよりも、私どもいつも、キャンプに行くおりに、今年一年間という勝負の年という形で、ベストを尽くそうとゆう形いつも、キャンプに臨む際においてはいつも、この秋に無事に乗り切れるか、まぁ辛い決断をしなければイカンのか、言う様な事を思いはいつも、二月の時にいつも、思っております」

打撃指導で「来た球を打て!」

2003年10月28日の五輪野球日本代表の記者会見で「背番号はこの場で見せるんですか?」との問いに「いや、グラウンドで」 などといいつつ記者会見上でジャンパーをあっさり脱ぎこの場で見せてしまう

アジア大会で「カーブでカウントを稼いで、最後カーブ」

1976年、首位攻防の大事な時期に故障を理由に帰国したがっていたデービー・ジョンソンに
「お前は男じゃない!オカマだ!」

1979年のドラフトで虚塵から3位指名を受けながら、法政大学進学を表明していた岡崎郁への口説き文句
「これから俺は10年間監督をやる。その間に君を必ず一人前にする」

1990年のドラフト後に、阪神ファンという松井(現:NYヤンキース)に
「松井君!君は巨人の星だ。ともにいい汗を流し、王国を作ろう。熱い期待を込めて、僕は待っている」

1994年の日本一後に、ファンに当てた優勝挨拶状
「今の野球は、家に入って風呂に入るまでわかりません」

1994年の10.8ナゴヤ決戦を前にして「国民的行事ですね」

〜テレビ・ラジオ・解説〜

最終回で巨人の攻撃時「この回に逆転しないと負けですねー」

ニッポン放送の生番組で電話に出たとき「はい、こちらラジオ日本です」と言った

世界陸上のマラソンで 「いやーこの選手はよくペース配分を考えて走ってますねー」 と言ったが、優勝後のインタビューで選手が「何も考えないで走りました」との答えに「いやー何も考えなかったのが勝因でしょうか」

「筋肉番付」のストラックアウトに出たとき、「5番と6番を二枚抜きしますよ」 と何度も言ってことごとく失敗。
なお5番は枠に囲まれて絶対に2枚抜き出来ない

長野五輪で原田のジャンプを見たとき 「原田君はすごかったですねー137キロも飛んだんですから」

日本シリーズを未だに「日本選手権」と言っている

  2001年は日本シリーズのことを「ジャパン選手権」と言った

キャンプで地方に行った時、観客に「元気ですか?」と聞き「こないだまで風邪をひいていた」と言われ「風邪、流行ってますからねぇ。インフレ?大変です。インフレ?」
そのあと記者に「西武の松坂も風邪を引いていた」と言われたら 「松坂君はいろいろフィーバーやってて大変ですから」

テレビ出演した時「あのリモコンというのが困ったもんですね」といっていたけど、携帯電話のことだった

サッカーW杯の日本代表の鈴木、稲本のゴールを見て「ん〜日本の2つのトライ!素晴らしいですねー」

91年、テニス全米オープンでサンチェスがセレスにマッチポイントにされたとき「サンチェスはこのセットを取らないと9割9分負けですからねー」
マッチポイントを取られればその時点で負けである。

清原のモノマネをした人を見て「何してんの?清原・・・(数秒後)・・・あっモノマネ!!」

実況の「中日は小松を何処で使うか」の問いに「そうですね、近藤監督の頭は小松の頭にいっぱいでしょうね」

2003年日本シリーズ、BS−1での解説の仕事を「宇宙へ飛ぶ」

中居正広の番組へメッセージを送るとき 「一度お目にかかりたいたいなあ。時間あったらねえ。東京ドームあたりで」それに対して中居は「いや、何回も会っている」と言ったらスタジオ大爆笑

2003年、ヤンキース対マリナーズの解説でニューヨークに行き、「(ヤンキースのNYマークは)ティファニーがデザインした」と言われたとき 「んー?地下鉄ですかー?」

2004年1月10日のすぽるとに電話出演したとき、さんまの「今何処にいるんですか?」の質問に「え〜なんとなく〜」

近鉄の梨田監督と話したとき、「今日は、先発を高木で行く」と言われたあとに長嶋氏は「そう、高木ね。・・・で今日の先発は?」

1993年、打撃指導で「腰がお嫁さんになってるぞ」

〜その他〜

今の夫人と初めてのデートの日、張り切ってスーツを着たらまだ全然待ち合わせの時間まであったのでスーツを着たまま家の前の道の掃除をはじめた。ずっと考え事をしながら掃除をしていたら田園調布の駅前まで掃除しながら行ってしまった
遅くなった理由を「昨日はシャワー食べてうどんを浴びたら12時になってしまいました」

蛍の光を聞いて「ん〜いい曲ですねー『君が代』は」

1982年赤井電機の少年野球チームにコーチに行ったとき、背中に書いてある「AKAI」の文字を苗字を思い込み「赤井君!」を連発。そして最後に「このチームには赤井君が多いな」

「野球は人生そのものです・・・ヘッヘ」

ビートたけしに「一緒にゴルフ行きませんか?」と誘い、当日ロビーで待ちぼうけているたけしに向かって「やあ、たけしさん、今日はゴルフですか?」と言ってそのまま素通りした。数分後マネージャーと戻ってきて「ごめんごめん、今日は僕とゴルフだよね」

たけしとのゴルフの前、食事を頼んで待っている間 「ちょっと新聞社に電話してくる」と席を空けたが30分しても戻ってこない。たけしが探すと、同じ部屋の食堂の端で長嶋氏がスパゲッティーを食べているのを発見。たけしに問い詰められ「ごめんごめん、ここにいたんだよね」と元の場所に戻ってきた。どうやら最初どこに座ったか忘れていたらしい

トライアスロンのスターターをやることになり、ピストルを持った手で耳を塞ぎそのまま引き金を引いた。耳のすぐそばで号砲がなり、長嶋氏は「ギャーーーーーーー」と絶叫した

その翌年、またスターターをやることになり、また引き金を引いたが火薬がしけていて不発だった。長嶋氏はその直後口で 「ドンドンドンドーーーーン」と叫んだ。そのせいでスタートは滅茶苦茶。 

三奈のストーカーが家に入ったとき、警察がくるまで気づかず、犯人を「サイン貰いに来たの?」と勘違いしていたらしい。さらにインタビューに集まったマスコミの前に短パンで現れ他人事のように「奇々怪々という感じですね」
そして極めつけは「うちはガードが甘かった。防犯対策をきちんと考えないといけませんね」翌日、某警備会社の株は暴落した。

佛教大学の生徒を見て「仏教って顔じゃないけど」

アメリカでメジャーリーグを観戦しているとき 「いやー、さすがアメリカですね。選手だけでなくお客さんまで興奮してますねー。」
これを聞いた相手は「?」と思ったが続けて長嶋氏が 「ほら、球場のそこら中に『エキサイト』って書いてあるじゃないですか」
長嶋氏が指を指したのは出入口にある「EXIT」の看板であった。

記者の「どういう本を読んでいるか」の質問に対し「そうですね、いわゆるブック的なものですね」

ねじめ正一との対談で「僕は石川啄木を読んでいるから、詩のことはだいたいわかるんですね」

クイズ番組で 「鳴かぬなら( ? )ホトトギス」を「鳴かぬなら俺が鳴こうホトトギス」

ハワイにて「こっち来たら朝から晩までパパイヤが食べてますねー」

91年、鈴鹿で行われたWGPで大会名誉顧問にされ、そこでのインタビューで 「このスズキサーキットで・・・」 鈴鹿サーキット、ホンダ関係者は突然ライバルメーカーの名前がでてきて真っ青に。
(この事件のショックかどうか分からないが、この年の夏に本田宗一郎会長が病気のためお亡くなりになった。)

長嶋氏の行きつけのサウナは、長嶋氏が行くといつも空っぽ。そこで長嶋氏が「お客さんが少なくて大変だねぇ?実は長嶋氏は営業開始時間のだいぶ前に来ていて、特別に入れてもらっているのを知らなかった。

岐阜への移動中、JR在来線に乗った。そのときソフトボール部の女子高校生に席を譲ってもらったが「いいよいいよ、お兄ちゃん」 彼女はひとこと「女です」。困った長嶋氏は「俺、今眼鏡かけてなかったから」

早朝、外が真っ暗なうちに散歩していたが道の隅で寝ていた黒い犬に気づかず踏んづけてしまい噛み付かれた。
しかも一度だけではないらしい。
その上で「俺は、狂犬病予防注射をしているから大丈夫だ」と得意げに振舞った

海外に行った時、伝染病予防の注射を何本も打ったのだが、そのなかにツベルクリンなど全く意味の無いのがいくつかあったらしい。

徳光がなじみの日本そばが名物の店に長嶋氏を連れて行った時、長嶋氏がその店の大将と「日本そば、いいですね〜」と意気投合し、食事前に1時間ほど話し込んでいた。話も終わり徳光が「長嶋さん何を召し上がります?」と聞いたところ 「ん〜じゃ、カツ丼」

ある人が新築祝いに長嶋氏を招いた際、床の間の掛け軸の書を頼まれ、4文字の言葉を書こうと悩んだ挙句「長嶋茂雄」と書いた

エッセイ集(長嶋語編参照)を出し、知人から「面白かった」と言われたとき「ああ、そうらしいですね。私はまだ読んでませんが」

せんだみつおが酒気帯び運転で前の車に追突した事件のあと、長嶋氏が電話をかけてきて「せんだクン、大変だったね。大丈夫?死刑にならない?死刑に」

2001年の巨人対阪神のOB戦で、帰ろうとしたときメガネが無いのに気づき、10分以上探させた。そして王のウィンドブレーカーから出てきて 「ワンちゃんはどうして(メガネを)持ってっちゃったのかな?探してもないはずだよ」と言っていたが、実は長嶋氏は試合中に貴賓室に行き、王のウィンドブレーカーを着ていた。

迷球会のオーストラリア旅行にて、動物園のコアラに対して「これってぬいぐるみじゃないよ!本物だよ!!」と驚いていた。

"26歳の精子が最強"と言う科学的根拠も無い事を信じていた長嶋氏は、27歳の誕生日が近づくにつれて焦りに焦って、今の奥さんにこの科学的根拠の無い事を真顔で説明して、大慌てで結婚した。
この後、産まれたのが後の一茂である。

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