人物紹介
足利氏満(あしかがうじみうつ)
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足利氏満、正平14年(1346)8月12日生まれ。第2代鎌倉公方。(在位1367年
- 1398年)
父は初代鎌倉公方・足利基氏、母は畠山国清の娘。幼名は金王丸。
1367年に父・基氏が28歳の若さで急死したため、鎌倉公方に就任した。
幼い頃は父の代からの関東管領・上杉憲顕に補佐され、憲顕の死後は上杉一族に支えられて、宇都宮氏をはじめとする関東諸勢力と戦い、頻発する関東の反乱を鎮圧した。
1379年、京では、管領の細川頼之と、それに対抗する斯波義将を中心とした勢力の幕府内部抗争が表面化した。関東の武力を重視した斯波義将は氏満にしきりに働きかけ、氏満もそれに呼応して将軍・足利義満に対して挙兵しようと決意する。
が、関東管領の憲春が諫死したために、氏満は何とか断念した。
その後、義満の政権が安定したため、氏満も関東支配に専念し、新田氏や宇都宮氏、更に小山氏の反乱、関東地方の一揆などを鎮圧した。その功績により義満から陸奥や出羽の統治も任された。
関東の強力な武力を掌握している鎌倉公方は、将軍家である足利氏に対し、常に敵愾心を燃やし、また対立していた。
特に、氏満の代では、従兄弟同士という血統的に近い関係にあるので尚更であった。
この氏満の敵愾心が、後に氏満の子・足利満兼やその孫・足利持氏らに受け継がれた。
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小説紹介
『五月の風』 藤田 唯
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あらすじ
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室町時代初期、初代の鎌倉公方・足利基氏が流行り病で急死し、幼い氏満がその職を継ぐことになった。氏満は利発で負けず嫌いな少年だった。
基氏の片腕でもあった上杉憲顕が引き続き関東管領として、氏満を補佐をすることになる。彼を中心に上杉一族で氏満を盛り立てていこくという体制が整えられた。これにより、関東における上杉家の権力は大きなものになった。
一方、同じ頃、京の将軍・足利義詮も亡くなり、幼い義満を管領・細川頼之が補佐することになる。
憲顕は、義満の将軍就任の祝いを述べるために上洛するが、関東では、その留守を狙って叛乱が起きた。急激に勢力を伸ばした上杉氏に対する反感がその原因である。
下野国の守護・小山義政も、上杉の支配に反発を感じていた。今回も乱への参加を求められていたが、見送ることにした。重鎮・上杉憲顕が健在なうちは、叛乱は成功しないと考えたからだ。案の定、京から戻った憲顕の采配で乱は鎮圧された。しかし、小山義政は上杉を失脚させ、小山がそれに代わるという夢を諦めたわけではなかった。
やがて、氏満が成人した頃、京では細川頼之を執権の座から追い落とそうとする動きが起きていた。反細川の斯波氏らは、氏満を味方に引き込もうと接触する。従兄弟である義満に競争心を燃やす氏満は、細川頼之の悪口を吹き込まれ、ついに自らが将軍に取って代わろうと決意する。が、それを知った憲顕の息子で当時関東管領だった上杉憲春は、諌死して、氏満の野望を諦めさせた。
京の将軍・義満は、斯波らの動きを巧みに使って、細川頼之を失脚させ、自らの権力を強固なものにしていく。彼は天皇をも凌ぐほどの実力をほしいままにした。
関東では、権力者・義満に睨まれた氏満が身を小さくしている隙を狙って、小山義政が乱を起こす。彼は息子・若犬丸を従えて、執拗に抵抗を繰り返したが、ついに敗れ、彼の野望は息子・若犬丸に引き継がれることになった。
若犬丸は、陸奥の豪族・田村氏の協力を得て、南朝の残党や、鎌倉府と上杉氏への不満分子共に、叛乱を繰り返す。
将軍の地位に座ろうと夢見た鎌倉公方・氏満を中心に、彼を支えた上杉一族、天皇になろうとした将軍・義満や、上杉に代わって関東管領になろうと夢想した小山親子ら、室町初期を生き抜いた人々の、自由で奔放な生き方を描く。
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目次 一、幼い公方
二、平一揆
三、二人の管領
四、諌死
五、偽りの和議
六、祇園城炎上
七、憂鬱
八、若犬丸
九、筑波の落日
十、義満と氏満
十一、陸奥
十二、おわりに
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