今ここで我々の全てをお伝えしたいのですが、やはり難しい事でしょう。
キリストは性急に真実を旧人類に伝えようとして、誤解を生じさせ破滅しました。
少しずつ旧人類の心にも変化の兆しが顕れていますが、まだ大勢ではありません。
超人類であるキリストも、当初は弟子と呼ばれる人々にしか理解されませんでした。
その弟子も、全てがキリストを信じた訳ではありませんでした。
そして、多くの旧人類はキリストを理解しませんでした。
しかし、モーゼやヒットラーの様な旧人類の媒体者は、超人類を利用し超人類に反逆する事によって多くの民衆の支持をえました。
この違いは何なのでしょうか。
お考えになられて下さい。
自己中心主義や民族差別主義とは如何に儚く、如何に多くの禍根を生むかを感じ取って下さい。
自分に都合の良い事ばかりを言う人間は、注意しなくてはなりません。
それ以外にも多くの教訓を残しています。
予言としてではなく申しましょう。
旧人類は何れ新たな進化を迎えます。
これは予言では無く、意識として進んている希望に満ちた事象なのです。
それを旧人類の滅亡と捉えるか、新たな誕生と捉えるかは旧人類の心次第でしょう。


覇権主義
我々が旧人類に求めるものの一つに、真実を訴え欺瞞を明らかにする姿勢があります。イスラエルは今後、どうなるのでしょうか。現実問題としてイスラエルは、欧米による中東支配の前哨基地に過ぎません。彼らに対抗すべき術は、非人道的テロ行為などでは断じてありません。ホロコーストの真相や、スファラディーユダヤ人の真相が明らかになった場合、彼らは一体どうなるのでしょうか。そして、アメリカや中国の覇権主義が破綻する日も近いでしょう。更には日本国内や、日本に向けられた反日による歴史の捏造も是正されることでしょう。それはドイツとて同じです。これは予言としてではなく、蓋然性の高い事象として話しているだけです。予測の範囲内の事なのです。近い将来、アメリカもイスラエルも中国も、反日・反ドイツの歴史も、この真実を前にして偽りのアイディンティティーが崩壊する事でしょう。彼らは、これら事象が確立する蓋然性を低くすべく、更なる紛争を生み出します。彼らの目論みに対抗するにあたって、テロや武力を用いてしまっては益々、彼らの影響力を増長させるだけなのです。力には力ではなく、真実だけで充分なのです。それを知っている彼らは真実が無い故に、脅しや力で封じ込めようとします。彼らが真実を恐れ、全世界を敵に回し言論弾圧する行為は、彼らの存在自体をより一層不確実なものにさせます。とは雖も、言論弾圧をしなくても、彼らは崩壊する事でしょう。何れにせよ、結果は同じなのです。


救世主
宗教は救世主願望を生み出し、現世に不満のある人々は救世主を求めてきました。我々は終末思想も予言も望んでいません。これら概念の発端である宗教が人々に無駄な希望を持たせ、無駄な絶望を齎してきました。そういった意味で宗教の罪は重いといえます。
現実として、救世主は過去にも存在していません。その様な神の計画など元々ないのですから当然ともいえます。それら願望は旧人類の甘えが生み出した産物ともいえるでしょう。
予言と予測が違うように、我々の述べてきた指南役と救世主は全く異なるものなのです。貴方は媒体者であるヒットラーを救世主だとは思わないはずです。彼は慢心になり人類を裏切りました。同じようにキリストも救世主では無いのです。キリストにしても指南役にしか過ぎないのです。そして、指南役は救世主ではないのですから他の多くの人類と同じく失敗も犯します。それは超人類が数多くの失敗を犯してきた事と同じです。悪意を持っていなくても、良かれと思ってしている事でも失敗すれば悪として結論付けられる事もあるのです。だからこそ旧人類は指南役にしても指導者にしても無闇に従ってはならないのです。指南役以外の旧人類は彼らの誤りや失敗を正す必要があるからです。
救世主との響きには他の異論を許さない絶対的な悪の思想が感じ取れます。仮に救世主が存在したとして、彼に異論を唱えたらどうなるのでしょうか。悪魔として弾劾される事でしょう。しかし、実際はどちらが悪に犯されているか明確ではないでしょうか。勧善懲悪は新たな憎しみを生み、平和を阻害します。正義と思っている行動が実際は悪との事もあるのです。真実と嘘、善と悪が何であるかが分からない限り人は人を裁けないのです。魔女狩りや十字軍は何が齎したのでしょう。
救世主願望は無益な選民意識を生み出すだけです。そして、自らの努力を捨て他力本願に陥る行為でしか過ぎないのです。
それでも、しいて救世主をあげるとすれば、それは人類全体なのです。深層精神は一つです。人類全体の意識が世の中をより良き世界に導こうとすれば、それが救世なのです。救世主という特別な存在などいません。全ての人々が特別なのですから。
そして約束の時とは、ごく普通の平和な時です。それを求めるにあたり時には急激な変革よりも、緩慢な変革の方が効果的な事も多いのです。


ファティマ
貴方はファティマをご存知でしょうか。
ファティマとは、ポルトガルにある都市の名称です。
ここで我々が起こした事象も、今ではファティマ予言として喧伝されています。
その事象とは、1917年にポルトガルのファティマで起こった遭遇事件の事を指します。
現在では、六回出現し三回予言を伝え、最初は三人の子供、最後は数万人の群集の前に現れた光との遭遇事件として喧伝されています。
無論、我々は警鐘はしても奇跡や予言などはしておらずマリアも出現しておりません。
その、ファティマの名称の由来をお教えしましょう。
ファティマはイベリア半島を支配したイスラムのウマイヤ朝により名付けられました。
また、イスラム教開祖ムハンマドの娘の名前でもあり、エジプトのファーティマ朝の名称でもあります。
そして本来は、ファティマとはアラビアで月の女神との意味を持っています。
ファティマを選んだ理由は、キリスト教至上主義に疑問を持たせる意味合いもありました。
そして、月の存在理由も表しています。
子供を選んだ理由は、旧人類の悪い洗脳に侵されていないからです。
当時、世界大戦を目の当たりにした我々は警鐘の意味を含めて久方ぶりに旧人類にメッセージを送る事を決断しました。
間接的に媒体者を使う方法でも直接的に遭遇する方法でも無く、イメージでメッセージを送る方法を採りました。
直接的コンタクトは早すぎるとの意見が大勢だったからです。
しかし、当時もまだ旧人類の道徳概念は未熟でした。
キリストの詞を曲解したように、彼らも我々の詞を曲解しました。
警鐘は予言とされ、一度も姿を現していないにも関わらずマリアが出現した事となってしまいました。
世界民族の調和をとのメッセージがコーカソイド至上主義者、カトリック至上主義者に歪められたのです。
第三の予言と喧伝されているメッセージの真相もお伝えします。
このメッセージは我々とコンタクトした少女により、1960年まで封印して法王が保管するとの条件でバチカンの手に渡りました。
そして、1960年に当時の法王であるヨハネス23世はこのメッセージを読みましたが失神するほどの衝撃を受け公表すべきではないとの判断をしました。
何故だったのでしょうか。
これには第三次世界大戦の予言も、人類滅亡の予言も、法王暗殺の予言も書かれてはおりません。
無論、それ以外の予言でもありません。
そこには、キリスト教の必然性の無さが書かれています。
そして、来るべき未来での宗教からの卒業の必要性を説いています。
我々のここでの詞と殆ど同じ事が書かれているのです。
それにはキリストの真実、人類の発祥も含まれます。
法王にとっても少女にとっても、自らのアイディンティティーを覆すほどの衝撃であった事は事実でしょう。
また、少女と共に我々のイメージに遭遇した二人の子供がその後、相次いで早世した事実もキリスト教の説く自己犠牲として尊ばれるようになりましたが、そもそも我々は他人の命を生贄にする行為などはしません。
この事象以来、我々が旧人類とのコンタクトを間接的に媒体者を使う方法以外では、第二次世界大戦が終わるまで行わなかった理由がお分かりになりましたでしょうか。
悲しい事に我々の旧人類へのメッセージは間接的、中間的、直接的全てにおいて曲解されています。

