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<朝日新聞>

途切れぬ連携で瀬戸際の命救う

 長崎県がドクターヘリを導入して1年9カ月。医師が現場に飛び、一刻も早く治療を始めることで、救命率を少しでも上げようという制度だ。テレビドラマの題材にもなり、注目が集まる。「空飛ぶ救命センター」とも呼ばれるヘリに同乗した。

 ピリリリ――。8月下旬の午前9時57分、長崎医療センターにある待機室の電話が鳴った。県北部の交通事故現場への出動要請だ。

 三竹隆彰操縦士と山下盛玄整備士が部屋を飛び出し、ヘリポートへのスロープを駆け上がる。フライトナースの野口みどり看護師と救命救急センター長の高山隼人医師もすぐに乗り込んだ。10時2分。機体がふわりと浮き上がったかと思うと、あっという間に医療センターが遠ざかった。

 ヘリコプターは大村湾を横切り、西彼杵半島の山々を下に見ながら、時速200キロを超える速度で進む。現場に先に着いた救急隊から、けが人の様子が無線で入った。「血圧114の47。顔面蒼白。酸素10リットル投与中……」

 ヘリコプターは離陸から12分後、県北の現場に近い高校グラウンドへ降り立った。けが人を搬送してきた救急車内で、高山医師が治療を始めた。「外傷性脳出血の可能性がある」と判断、脳外科の専門医がいる病院に電話する。「15分前後で着くと思います」

 けがをした男性はドクターヘリに移され、10時36分、飛び立った。「イタタタ」「足が痛い、足が……」。男性がうめく。シャツには血痕。意識がもうろうとしているのか、もがくように両手を動かし、酸素マスクを取ろうとする。「痛いの? 痛み止めを打ちますからね」。高山医師の指示で、野口看護師が鎮痛剤を注射した。血圧も測る。

 男性はなおもうめき続ける。「あんまり動くと痛みが強くなるかもしれないから、がんばって」「あとちょっとだからね」。男性の耳元で、高山医師が話しかける。野口看護師は患者の左手を両手で強く握っていた。

 午前10時44分、ヘリコプターは佐世保市の長崎労災病院の屋上ヘリポートに着陸。男性は病院に引き渡された。

 同時刻、今度は島原半島での事故で出動要請が入った。ほっとする間もなくヘリに駆け戻る。「キャンセルが来るかもしれませんが、飛びましょうか」。三竹操縦士が言うと、高山医師が「はい、行きましょう」。同51分、ヘリは再び空へ。

 結局、大村市上空を飛行中にキャンセルが入り、ヘリは医療センターに戻った。

 この日午後にはさらにもう1件、「長崎市内の海水浴場で人がおぼれた」と要請があり、現場へ出動した。

 長崎県にドクターヘリが導入されたのは2006年12月1日。

 離島の多い長崎では、1958年から海上自衛隊が患者の搬送を担ってきた。ただ、これは離島の病院と本土の病院間の搬送で、事故現場に直接行くものではなかった。

 県によると、2004年の救急車搬送は4万7498件。このうち要請から医療機関に入るまで30分以上かかった例が2万511件(43%)であった。本土に限っても30分以上かかったのは43%と割合は変わらず、一刻も早く搬送して救命率を上げることや後遺症を軽くすることが課題となっていた。

 運航は原則、午前8時半から日没前まで。医療センターには、フライトドクター4人とフライトナース8人がいて、当番でヘリに乗る。

 午前8時15分、医療センター3階の運航管理室に、その日の当番のドクター、ナース、操縦士らが集まり、当日の天候や日没時間を確認する。ドクターとナースは呼び出しがかかるまでじっと待機しているわけではなく、救命救急センターの患者の診療や、救急車で運ばれてきた急患の治療に当たっている。

 ドクターヘリは、基本的に消防からの要請を受けて出動する。運航管理室には、4台の電話機と2台のパソコンがある。要請が入ると、橋口喜親運航管理者は、雲の様子などが映ったパソコンのモニターを見ながら、ドクターやナースに一斉に連絡。長崎空港事務所に行き先を伝え、専用回線で神戸市の関連会社に運航計画の提出を依頼する。消防と連絡を取り、飛行中もドクターに電話して、現場の状況や患者の様子などを伝える。

 いつ要請が入るかわからないため、橋口さんはトイレに行く時も、ホットラインとなる電話の子機は持ち歩く。

 ヘリは現場に近い場所に着陸。フライトドクターが治療に当たり、受け入れ可能な最も近い病院を探して搬送する。

 フライトドクターの中道親昭医師によると、最初の1年間で386件の出動要請があり、天候不良などの場合を除く353件に出動した。このうち本土が250件と7割を占め、離島よりはるかに多くなっている。

 この1年間で、ドクターヘリを利用したおかげで、命を救われた例が11件あった。そのうちの1人が、長崎市の三重小学校3年、野口海碧(かいあ)君(8)だ。

 2007年7月21日。夏休み初日の午後、自転車に乗っていた海碧君は、長崎市郊外の樫山町の道路でバスと接触した。母のみさおさんが現場に駆けつけると、左足に深い傷があった。だが、「大丈夫?」と問いかけると、海碧君がうなずいたため、「傷はひどいけど、命に別条はなさそうだ」とほっとした。ところが、救急隊員は「危険な状態なのでドクターヘリを呼びます」。

 現場に着いた中道医師が携帯型の超音波診断装置で調べ、腹部に大量出血していることがわかった。海碧君の顔はみるみる青ざめていった。ドクターヘリの中で中道医師が点滴などの処置をしながら、長崎大付属病院に搬送。すぐに緊急手術をして一命を取り留めた。

 2週間ほどして、みさおさんは担当医から「ヘリコプターがなければ間に合わなかった」と聞かされた。海碧君は骨盤など3ヵ所を骨折した上、脾臓(ひぞう)が破裂して体内の血液の3分の2が出血した状態だったという。

 みさおさんは「ドクターヘリを呼んでくれた救急隊の判断と、ヘリの中で先生が処置してくれたからこそ、今の元気な海碧がいると思う」と感謝する。

 中道医師は「離島からの搬送はもちろんだが、本土も渋滞など交通事情が悪いため、長崎ではドクターヘリの必要性が高い。医師が現場に行くことで、病院まで途切れることのない連携が出来る」と強調する。

 高山センター長は「地方の医療機関からは『医療センターに患者を連れて行かれる』とか『本当にヘリを呼ばないといけなかったのか』といった声を聞く。ドクターヘリの必要性をもっと浸透させないといけない」と課題をあげた。

 ドクターヘリは狭い機内に血圧や心電図を測る機器、人工呼吸器、除細動器などがぎっしりと並ぶ。中道医師の「医療センターの集中治療室と同じ」というのもうなずける。けが人に、ずっと声をかけ続けた高山センター長のやさしい声も印象に残った。フライトナースの野口さんの「緊張で一日が終わるとぐったりするが、すごくやりがいを感じる」との言葉が頼もしく感じられた。(伊東聖、朝日新聞、2008年8月29日付より要約)

【関連頁】

 HEM-Netグラフ2008年夏号

 

(JSAS,2008.8.27)

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