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ピカチウ戦闘航空団

エースパイロットの乗機

エーリッヒ・ハルトマン少佐ヴァルター・ノヴォトニー少佐ハインツ・ベール中佐ヨーゼフ・プリラー大佐


エーリッヒ・ハルトマン少佐
ドイツ空軍、というよりも歴史上最初にしておそらく最後のトップエース
352機という撃墜数を誇るハルトマン少佐は空軍の最若年パイロットとして
1942年10月に第52戦闘航空団に配属された

JG52は多くのエースパイロットを輩出した部隊として知られており、ハルトマン少佐、ゲルハルト・バルクホルン少佐
ギュンター・ラル少佐というドイツ空軍トップエース3人の他にも、ヘルマン・グラーフ大佐ら150機、200機撃墜という
パイロットがまさに綺羅星のごとく居並ぶドイツ空軍の誇りであった

東部戦線において通算300機撃墜を果たしたハルトマン少佐はJG52の第U飛行隊長代理、兼第7中隊長へ昇格するが
この頃より機首に「黒いチューリップ」のマーキングを描くようになり、
東部戦線のロシア兵からは「南部の黒い悪魔」として恐れられるようになる

1944年5月には第U飛行隊は東部戦線を離れ、ルーマニア、ハンガリーといった東欧に転戦し、米空軍機とも戦火を交わす
1945年に入り、ハルトマン少佐の元にガーランド中将自らが戦闘指揮を採ったMe262を擁するエースパイロット部隊
第44戦闘隊への参加要請があったがハルトマン少佐はJG52に残り東部戦線で終戦を迎えた

Bf109 G-14
1/72scale HASEGAWA

Bf-109俯瞰  

1942年10月にJG52へ配属されたハルトマン少佐
は、配属後7ヶ月は目立った戦果は上げておらず
わずか15機撃墜を果たしただけだった
しかし、1943年5月から10月の間に撃墜数121機
という驚異的なスコアをあげ、エースとしての能力
を開花させ、1944年8月には300機撃墜を果たし、
最高の栄誉である「ダイヤモンド剣付柏葉騎士
十字章」を授章される

ハルトマンの戦果に対し東部戦線の技量の劣る
ロシア空軍を相手にしたものだからと揶揄する
向きもあるが、大戦初期ならまだしも、独軍が
守勢に回った43年以降の約1年余に300という
撃墜記録を上げた事実はハルトマン少佐の技能
を示して余りあると言ってもよかろう

1944年12月に休暇で本国に戻ったハルトマンは、
レヒフェルト基地でのジェット戦闘機操縦訓練に
参加させられ、ガーランド中将からJV44への転属
を要請された
しかし、古巣であるJG52への帰還を熱望する少佐
の希望が入れられ、1945年2月に再び東部戦線で
ロシア軍の猛攻に対するJG52へ復帰した
その際の乗機のひとつがこのBf109G-14であると
言われている
1943年後半以降、連合軍の新型戦闘機に対し
メッサーシュミット社はBf109の大幅な設計変更
によるKシリーズの開発に着手したが、戦局は
開発に費やす時間を与えてはくれず、つなぎとして
Bf109G-6の性能向上型であるG-10の生産、実戦
への投入を決定した

Bf109フロント

K型へのつなぎのはずのG-10も実用化に手間取り1944年
6月に、より手軽な方法での性能向上型であるG-14が量産
ラインに乗せられた

パワーブースト付きのDB605AMエンジンを搭載したG-14は
機首エンジンナセルの形状こそG-6以前のバルジ付き
であったが、G-14の多くの機体は大型木製垂直尾翼を装備
した機体が多くエルラ・ハウベと呼ばれる視界の広いキャノ
ピーとともに、後期のBf109の外観的特徴を備えている

キットの垂直尾翼はバリエーション商品化の都合もあって、
別パーツ化されているが、胴体の接着に際してはねじれが
生じないよう配慮が必要である

細部ディティールの追加表現やアンテナ等の表現に真鍮線
を使用した以外は、ほぼ、キットのままに製作してある

彩色に関してはRLM 74/75/76迷彩という標準的なグレイ系
迷彩を施し、機体上、側面をホワイトで塗装、完全に乾いた

Bf109サイド

後に紙やすり(1000番)で軽く塗膜をこすり冬季迷彩が
剥げた感じにしてある

デカールはキット付属のものを使用しているが、本機の
最大の特徴である「黒いチューリップ」はデカールの余白を
カットし、マークソフターと綿棒で表面に馴染ませながら
貼っていく
一部排気管にかかる部分もあるが、その部分も破れない
よう、丁寧に馴染ませデカールが乾いた後にデザイン
ナイフできれいに切り取ってやると良いだろう

ドイツ機に詳しい人には説明するまでもないが、下の機体
前半部の写真にも見られるキャノピー下のハートは少佐の
パーソナルマークで、ハートの中に戦時中に結婚した妻の
愛称"Usch"が書き込まれている

Bf109リア Bf109アップ

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ヴァルター・ノヴォトニー少佐
大戦末期のMe262ジェット戦闘機隊(Kommando Nowotny)指揮官としてあまりにも有名なノヴォトニー少佐は
258機という驚異的な撃墜スコアの大半をBf109、Fw190を駆り、”グリュンヘルツ”の呼称で知られる
第54戦闘航空団に所属中の東部戦線でたたき出している
同部隊に配属された2年間にノヴォトニーと彼の小隊は実に500機以上の撃墜をあげている

名実ともに空軍のトップエースとなったノヴォトニーは世界初の実用ジェット戦闘機であるMe262を擁する
262実験隊に転属、1944年9月25日の着任以来、戦闘機隊総監アドルフ・ガーランドの尽力で人員及び機体の確保
部隊の整備が進み、同年10月7日から11月7日までの1ヶ月間に2個中隊からなるノヴォトニー隊は
兵力比100:1という圧倒的劣勢下、B-24 4機、P-51、47 計12機、偵察機3機という戦果を上げる

しかし、1944年11月8日敵戦爆連合編隊の迎撃に向かったノヴォトニーは3機目の撃墜を報じた直後被弾、
おりしもノヴォトニー隊の勇戦を視察中であったガーランドの眼前で帰らぬ人となった
若干23歳の天才エースパイロットの最期であった

Me262A1a
1/72scale HASEGAWA

Me262俯瞰  

第二次大戦を通じてドイツ全軍中12人にしか与え
られなかった「ダイヤモンド剣付柏葉騎士十字章」
受賞者のひとりであるノヴォトニー少佐は1941年
2月東部戦線に展開するJG54に配属後、同年中に
50機撃墜を果たす

翌1942年の6月中旬までに100機撃墜を果たして
以降、8月中旬に150機、9月4日に全軍4人目の
200機撃墜を果たし、10月14日には全軍初の
250機撃墜という、まさにトップエースとしての
名に恥じない驚異的な撃墜ペースで戦果を重ねた

JG54におけるノヴォトニー少佐の所属中隊の変遷
は不明な点が多いが、250機撃墜を果たした1942
年10月には第V飛行隊第9中隊長、翌43年8月に
は第T飛行隊長の任に就いている
そして、1944年9月からはジェット戦闘機隊である
ノヴォトニー隊を率い、同年11月に戦死するまで
に、総数258機撃墜を果たした

機番"8"が描かれたノヴォトニー少佐の乗機である
Me262は古くより知られた機体ではあるが、同機の
写真等の資料は見つかっておらず、機体塗装及び
マーキングに関してはノヴォトニー隊の他機の
パターンや同隊の生存者の記憶、あるいは当時の
記録からの推測による多くの塗装図が存在する
のみである

今回の製作にあたっては、そうした幾多の塗装図
の中でも信憑性が高いと言われる「Jet Plane's of the Third Reich」に掲載されている 塗装図を参考に

Me262フロント

製作しているが、従来から馴染みが深く、同書でも黄色で
描かれているエンジンナセル先端部は無塗装の銀という
最近の説を取り入れ仕上げてあるが、真偽の程はもちろん
定かでは無い

模型誌等での消費者の商品化希望アンケートを経て商品化
されたハセガワのMe262は、複座型の商品化を前提とした
パーツ構成となっているため、キャノピーと胴体の合せには
パテを用いて丁寧に整形してやらなければならない

また、同様の理由で別パーツになっている機首の機銃孔の
モールドのあるカバーパーツは形状がやや荒れており、ここ
は男らしく胴体に接着後あわせ部にパテ盛を行い1度大胆
にペーパーがけを行い機首のラインを整えた後にモールドを
彫り直してやると作業的には楽になる

機体下面の主翼と胴体の合せも、モールドを彫り直す覚悟
でパテを使用して整形する
特に機首側の合わせラインはパネルラインとは異なるため、

Me262サイド

いずれにしても彫り直しは必要となる

ノヴォトニー少佐が使用した初期生産型の尾灯は翼端灯
のような透明カバー付きという事なので、今回は胴体の貼り
合わせ後にカバーにあたる部分を切り欠き、透明パーツの
ランナーを接着、完全に硬化した後に削り出し、整形し再現
している
夜間戦闘機や爆撃機等に見られる主翼のライト部なども
同様の方法でクリア表現を行うとかなり見映え良くなる

塗装はMe262では標準的なRLM81/81/76迷彩
迷彩のパターンと、機番"8"の位置、胴体の黄色帯は
ノヴォトニー隊機に共通したパターンである
ちなみに、機番"8"はノヴォトニー少佐がラッキーナンバー
としてJG54時代から自機に描いていた番号で、機番"8"を
記したBf109、Fw190も確認されている

Me262リア Me262アップ

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ハインツ・ベール中佐
第二次大戦開戦の直前である1939年の夏に伍長としてJG51に配属されたベール中佐は
ポーランド戦、フランス侵攻戦、バトル・オブ・ブリテンに参加し、着実にスコアを伸ばしていった

バトル・オブ・ブリテンが事実上終了する1940年秋以降、多くの戦闘機隊が他の戦線へ転戦していく中で
JG51は1941年5月まで西部戦線に留まり、東部戦線に転戦後ベール中佐は史上9人目の100機撃墜を果たし
その後JG77第1飛行隊長として北アフリカ戦線に転戦、連合軍の反攻によるアフリカ戦線崩壊後
ベール中佐はJG1に転出し、英国駐留の米軍爆撃隊による本土防空の任に就く

本土防衛の戦いは日増しに激しさを増し、それに伴いベール中佐のスコアも1944年4月には200機を数え
部隊は同年6月の連合軍のノルマンディ上陸後の戦闘で消耗の激しいJG1は8月までルマン周辺に留まり
一旦戦力回復に入った後11月に本土防空に復帰、アルデンヌ攻勢の支援、ボーデンプラッテ作戦へも参加した

ベール中佐は1944年11月に創設されたたEJG2の第3飛行隊長に就任するが
同部隊はMe262パイロット養成のための訓練部隊として発足した
1945年には中佐自身Me262のロケットエンジン追加装備型の原型機Me262C-1aに搭乗し実戦参加も行っている
後にガーランド中将のJV44に転属し、終戦時には総撃墜数220機というドイツ空軍8位の記録を残した
尚、Me262に搭乗してからの記録は16機撃墜であり、ジェットエースとしてその記録はいまだ破られていない

Fw190A-8
1/72scale HASEGAWA

Fw190俯瞰

当初Bf109の補助戦闘機として開発が行われれたFw190は
BMW801系空冷式エンジンを搭載したが、液冷式エンジンを
搭載するBf109と比べると空気抵抗も大きく鈍重なイメージ
を受ける
しかし、新型戦闘機の設計を行う上でBf109への液冷式エン
ジンの供給により空冷式を選択せざるを得なかったクルト・
タンクを始めとするFw社の技術スタッフは馬力の強い空冷
式エンジンを搭載することを前提に頑健でメンテナンス性の
高い機体設計を行うことで戦闘機としてのバランスをとること
に努めた
完成した機体は極めて高いペイロードを有することとなり、
後には爆装を施した戦闘爆撃型であるF、Gシリーズが作ら
れることとなる
また、戦闘機としても豊富な兵装オプションが用意され、
様々なミッションに応じることが出来た

A-8はFw190Aシリーズの最終型であり、主翼内に収められ
た4門の20mmMG151/20と機首上面の2門の13mmMG131
という重武装はドイツ空軍の重戦闘機の決定版とも言える

ベール中佐は開戦から終戦まで各戦線を様々な機体ととも
に各地を転戦したが、JG1で本土防空に就いていた時期に
搭乗していた機体がこのFw190A-8であり、この時期に200
機撃墜を果たしている

Fw190フロント

今回製作したキットはFw190A-8のハインツ・ベール機という
事で、デカールもセットされており、製作には然程苦労は
無いが、キット自体が各型との共用が前提となっているので
それなりのリサーチは必要となる
パイロットによってはその空戦の癖もあって、同じ型の機体
でも武装等の装備が異なる場合が少なく無い
そうした理由は別にしても製作時の都合という事で、主翼に 装備されている機関砲及び、ピトー管は主翼上、下面の
接着、整形時に邪魔になるので一度カットしておき、主翼
整形後に取り付けると良い
もちろん強度面からも、そうした処理は望ましい

今回機関砲は外径0.8mmの真鍮パイプで、ピトー管はプラ
パイプを伸ばしランナーの様に熱し、細くしたものに先端部
0.3mm真鍮線を配し表現している
主翼下面のモラーネアンテナ先端部及び、胴体下面にある
ループアンテナも0.3mm真鍮線を爪楊枝で丸めて表現してある

Fw190サイド

塗装に関してはドイツ空軍昼間戦闘機の後期標準色である
グレイ系RLM74/75/76迷彩で、GSIクレオスのラッカー系
航空機色をそのまま使用している
胴体国籍マーク後方の赤い防衛識別帯はデカールではなく
RLM23にて彩色、スピナー、プロペラブレードは黒にて、
また、胴体側面の排気管後部の汚れを隠すために黒く塗ら
れた部分も塗装にて表現してある

基本塗装が終了した後に茶系のエナメル系塗料を使って
ウォッシングを行い、デカール貼りつけ後にグンゼのトップ
コート(光沢)を吹き、排気管の汚れ、排莢口周辺の汚れを
エアブラシで軽くつや消し黒を吹き、表現してある

方向舵に描かれたデコレーションは200機撃墜
のスコアマークであるが、ベール中佐はこの時期2機 のFw190を使用しており、200機撃墜を果たした 機体は、機番「23」を描かれた機体であるとされている

Fw190リア Fw190アップ

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ヨーゼフ・プリラー大佐
陸軍歩兵士官候補生から1936年に再建された空軍に転属
JG51第6中隊長として第二次世界大戦を迎えたプリラーは1940年の対仏戦で初の戦果を記録し
以後終戦までに総撃墜数101機のスコアを挙げた
撃墜数だけ見るとドイツ空軍第105位のエクスパルテンということになるが
開戦から終戦に至るまで西部戦線で戦ったプリラーのスコアは全ての戦果が米英機で
西部戦線での1機の撃墜は東部戦線での3機の戦果に匹敵すると言われた当時の認識でみると
ハルトマン、バルクホルンといったトップエースに比肩し得る戦果であったといえる

JG51で開戦を迎えた後、1940年11月にガーランド率いるJG26へ転出したプリラーは戦果を重ね
JG26で中隊指揮官、大隊指揮官をつとめた後に航空団司令となった
終戦直前には南部戦闘機査察総監に任じられ、ルフトヴァッフェの要職に就くことになるが
プリラーの名を後世にまで知らしめたのは1944年6月の連合軍によるノルマンディ上陸作戦であろう

連合軍上陸の報をリール基地で受けたJG26は本土防空に備え第1飛行隊がランスに移動中、第2飛行隊が休養中
第3飛行隊がナンシーへ移動中であり、すぐに飛び立てるのは航空団司令のプリラーと
列機のハインツ・ヴォダーチェック軍曹の僅か2機だけであった

低空で海岸線に向かった2機のFw190は上陸地点に到達する前に高度を上げ、雲の切れ目からのぞく海岸線に
海を埋め尽くす連合軍艦艇と上陸部隊に圧されながらもソード海岸に上陸する英部隊に向け時速650kmで降下
全弾撃ち尽くすまで機銃掃射を行い無事帰投した

映画「史上最大の作戦」でも描かれた有名なエピソードを残した気骨の航空団司令こそがヨゼフ・プリラーであった

Fw190A-5
1/72scale HASEGAWA

Fw190俯瞰

最初の量産型であるA-1型以降、搭載エンジンの変更等の
改修を行いつつ実戦での運用が続けられたFw190は、各種
装備の増加に伴う重心位置の補正のためにA-5型からエン
ジン取付架をそれまでの型より約15cm前方に延長すること
で重心の後退を防ぐこととした
戦局の転換期となった1942年末から生産が始まったA-5は
700機以上が作られ各戦線に配備されたが戦況を反映し、
高高度戦闘機型、戦爆型、雷撃型といった様々な兵装を施
したサブタイプが存在している

プリラーは早くからFw190を乗機としているが、一貫して外翼
の2門のMGFFを取り外し重量を軽減することで空戦性能を
高めた機体を使用している
プリラーの機体というと「ユタ・ヘルツ」と呼ばれるパーソナル
マークと機番「13」が付き物のように思われるが、指揮官記
号を記した本機は、1943〜44年に機番「13」を記した機体と
同時期に使用された機体で、連合軍の大陸反抗が現実的と
なった西部戦線にE.ロンメル元帥が司令官として着任し
JG26を観閲した際の写真として今に伝えられている
その写真では「ユタ・ヘルツ」が明確に見て取れることから
プリラーの機体であることは間違いなく、製造番号は「5120」
の機体であった

Fw190フロント

A-5ということではハセガワよりプリラー機として機番「13」
デカール付属キットが出ているのでとりあえずベースキット
として用いるが、ハセガワのFw190はA-5,6,8、F-8といった機
体がデカール替えでいろいろ出ており、パーツを共用するこ
とでの不具合も少なくなく、キット取説にもパーツそのものの
修正が記されている
他社キットと比較すると省略されているところもあるのでどこ
まで手を入れるかは作り手の納得度との相談
特に主脚収納庫周りは本気でやろうとすると結構な大手術
となるが、本機では・・・スルー

本機の特徴である外翼MGFFの撤去については、機銃身を
切り取り、主翼下面のMGFF点検扉のバルジを削り取る
彫刻もパテ埋めし彫り直す
もっとも点検扉の有無については、残っていたか否かは
定かではない
プリラー機は増漕懸架用のラックに通常のETC501ラックで
はなく簡易型ラックを使用していたということなので1.2mm
プラ板でラック本体を切り出し、0.8mmプラ線を組み合わせ
て骨組みを作ってある

Fw190サイド

基本塗装はグレイ系RLM74/75/76迷彩で機体側面には
濃密にならない程度のモットリングを施してある
カラーはいずれもクレオスのラッカー系航空機色
機首下面と方向舵は黄燈色を下地にイエローを上吹き
基本塗装が終了した後に各種デカールを貼り、完全に水分
が乾燥した後にクレオスのスーパークリアー(光沢)を吹き、
これまた完全乾燥後に茶系エナメル系塗料でウォッシング
を行い、排気管の汚れ、排莢口周辺の汚れをつや消し黒を
エアブラシで軽く吹き表現してある

ベースキットのデカールには指揮官記号は入っていないが
同じシートにノヴォトニー機用の二重クサビがあるのでその
一部を切り取り使用
製造番号「5120」は他キット付属のデカールより適当な
サイズの番号を組み合わせ貼り付けてある

Fw190リア Fw190アップ

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