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国民による明治38年6月28日の「早稲田大学野球部、アメリカで転戦」という記事を紹介します
同書は旧漢字を使用しており大変読み辛い文章であるために
 読み易くすることと、原文の尊重を考えた結果

1.旧漢字体は新漢字体に置き換える
  【 】は辞書で調べても新漢字の分からなかったものを文脈から推測した字です
2.明らかに現在では異なる漢字を充てているものは原文を尊重する
3.明治時代の独特な文体は原文のままとする

ことにしました


早稲田大学野球部、アメリカで転戦

 早稲田選手の消息

 南部カリフォルニアに転戦せし早稲田大学の外征野球選手は、五月二十七日、ベーカスフィールド高等学校の選手と競技せしが、結果は早稲田の五点に対する高等学校の六点にて、際どき勝負に終わりたるより、更に翌日を以ってその復讐試合をなせしに、今回は早稲田の三点に対する敵の五点にて、遺憾にもまたその敗となりたり。監督阿部磯雄氏敵の選手を顧みて曰く、今より三年、君等がスタンフォード大学に入るの日、我等もまた捲土重来大いにこの技を闘わさん、腕を扼して待たるべしと。一行はそれよりフレスノに向かい、五月三十日、同地の半商売人なる黒人選手と競技せしが、またまた三点に対する十点を以って早稲田の敗となりたり。この日我が泉谷は競技前練習中、右手の中指と示指の間を裂き、折角の競技に出ずるにあたわず。従って部署も、細川(中堅)、橋戸(遊撃)、押川(一塁)、山脇(捕手)、獅子内(右翼)、小原(二塁)、陶山(三塁)、鈴木(右翼)、河野(投)と変じたり。得点は細川、山脇、河野の三名にして、いずれも第八回目なりし。かくて三十一日、再び右復讐競技をなせしが、今回はまた運悪く味方に一点の得点もなく、敵は十三点の大勝利なりき。


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